特別ロング・インタビュー |
DATE : 2009/12/28 |
いとうせいこうと言えば、一般的には今やマルチな文化人/タレントとして認知している人が圧倒的だろうが、我々HIP HOPを愛する人間たちにとっては、彼は永遠に「日本語ラップの先駆者」であり、彼をそう認識できる事実を我々は誇るべきだ。“東京ブロンクス”や「MESS/AGE」など、彼が作り出した80年代日本語ラップ・クラシックの数々は、現在活躍する数多くのHIP HOPアーティストたちに決定的な影響を与えた(なんてことは今さら説明不要だと思いたい)。そして、そんないとうせいこうが、HIP HOP的なサンプリングなどの手法を用いて斬新なポップ・ミュージックを作り続けてきたユニット:□□□(クチロロ)に正式加入。最新作「everyday is a symphony」では「ラッパーとしてのいとうせいこう」を存分に堪能することが出来るし、何よりその側面が最も表われた“ヒップホップの初期衝動”はHIP HOPヘッズにも絶対に素通り出来ない素晴らしさだ。彼が今もなおラップという表現を続ける理由は?そしてそもそも、彼にとって「HIP HOP」とはどういう概念なのだろうか?彼の発言から学ぶべきところは本当に多い筈だ。
インタビュー:高木晋一郎
「何とも言えず、僕は好きなんだよね、HIP HOPが。よく出来た音楽だと思うし、よく生まれたよ。これがなければ僕は音楽をやっていないし、アガるし暴力的だけど、同時にクレヴァーじゃないと出来ないっていうね。でもそれが均一化してしまったときに僕は飽きちゃって、古典芸能にそういったHIP HOP性を見出してそこに向かったわけだけど、また新しい才能が出てきて、そういった連中が僕に活動の場を与えてくれて、僕も自分が知ってることを僕ってパイプを通して伝えたいって」
ネットにアップされた11月の『HARDCORE FLASH』でのいとうせいこうのパフォーマンスを見て、久々に生でライヴを観られなかったことに本当に後悔した。そこで行なわれた聴衆の情動に直接働きかけるような説得力の塊のようなラップは、決して音が良いとは言えない映像を通しても、こちらの脳と体にビンビンに響いてきた。そしてそれは、雑な言い方だが「なんかスゴいものを観ちゃった」という、ちょっと狐につままれたような気持ちにもさせられた。確かに彼が生みだした「MESS/AGE」や「建設的」はクラシックであるし、近年リリースされていたポメラニアンズとの作品やDJ BAKUとの「演説」作品も確かにスゴかった。しかし日本語ラップ/HIP HOPの最前線/最先端に彼がいたわけでは決してないし、そことの共通性も感じられなかった。なのに、何故あれだけのラップが出来るのかは単純に不思議で仕方なかった。そして、その答えの一端がこのインタビューで語られたわけだが、筆者はそれを伺いながら、はっきり言ってHIP HOP観を変えられるような衝撃を受けた。そして拙い原稿であることは承知の上で、これを読んでくれた読者にもその衝撃を与えられ、「HIP HOPの初期衝動」を感じてもらえることが出来たら、本当に嬉しいと思う。
■まず、先日出演された渋谷NUTSでのイヴェント『HARDCORE FLASH』への出演の経緯を伺いたいのですが。
「(高木)完ちゃんからTwitter経由だったかメールで、最初は9月ぐらいに連絡をもらったんだ。だけどそのタイミングでは都合が合わなくて出られなくて、それで今回の開催に出ることになったんだけど、偶然にそうなったとはいえ、新曲もあったから良いタイミングで出られたと思うね。ただ、ライヴとしてはその前にAPEのパーティに完ちゃんのライヴ・ゲストって形で出てたから、やり慣れてたって部分はあったかな。でも『HARDCORE FLASH』ですごく良かったのは、DUB MASTER Xがこのイヴェントのことを聞きつけて『俺DJする?』ってメールをしてきてくれたことだったんだよね。で、そんなに心強いことはないから『是非お願い』ってことで、MAC THE SEIKO & DUB MASTER Xって形での出演になったんだ、最後に一緒に組んでから10年振りぐらいに。でも、今回はまったくリハーサルしてないんだよね」
■え!それでもあのコンビネーションの良さだったんですか。
「僕も誰かが録ったライヴ映像をネットで見たけど、僕がどう動くか、どうラップするかをDUB MASTER Xは全部見切ったように音を出していくんだよ。それは長いこと一緒にやってきたっていうのもあるし、同じ時代を共有してきたからこそとも感じたね。『いとう君はこう出るだろうから、ここでトラックを変えて……』っていうのが全部悟られてる。ホントにスゴいよ!あれがなかったら、僕もあれだけのライヴが出来たかはちょっと分からない。だってどこにスピーカーがあってどこでマイクを持てば音が一番聴こえるとか、そういうことが全然分からない状況でのライヴだったからね。でも、そういう状況でライヴすることによって、改めてHIP HOPの自由さ、タフさを感じたね。マイクを握ったら四の五の言わずにラップするしかないっていうさ」
■ある意味では、あの状況は「いとうせいこう」というアーティストのホームではなかったと思うし、オーディエンスも初めてせいこうさんのライヴを観ると言う人も多かったと思うんですね。
「それが前提だよね。僕のことをみんな知ってる状況でライヴをやるっていうのは、ただの演芸会だから。それに、観客が僕を知ってるか知らないかはどうでもいいことで、良い音が始まったら僕は良い言葉を使って伝えればいい。そして、どんな客でも自分のモノにするつもりで出ていかなけりゃ、ラッパーとしてもミュージシャンとしても、芸人としてもダメでしょ。前提とすべきはトラックの良さと声の張りとか、一番は言葉の意味で観客のハートを掴んで離さないってことで、そしてライヴが終わったときには観客の頭をイカレさせて、自分の味方に出来るようにしなきゃ」
■なるほど。
「僕はハタチぐらいからピン芸を始めて、23ぐらいのときに止めちゃったんだけど、それは名前を知られるようになったら、登場するだけでウケるような状況になっちゃたからなんだよね。だからゼロから笑わせることが不可能になったときに、それは面白くないなって思って止めちゃったんだ。でも音楽の場合は、特に若い世代は耳が肥えてるから、どんなに『あの人良いよ』って言われても、その日のライヴがダメだったら、みんなトイレ行っちゃったりシヴィアだよね。だから勝負するのが音楽の場合はいまだに楽しいね」
■『HARDCORE FLASH』のライヴは正しくその勝負に完全勝利したようなライヴだったと思いましたが、せいこうさんの中ではどんな感触がありましたか?
「ちゃんと伝わってるんだなって。『僕の考えてるHIP HOP』は良く伝わったと思うし、それで十分。特に“噂だけの世紀末”はシャウトも含めて、ああいうごちゃ混ぜになった所にHIP HOPがあるってことが良く伝わったかなって。決まりごとじゃないっていうね。別のことで言えば、SSTVでやった□□□(クチロロ)のライヴでは、マイクをスタンドに立ててライヴをしたんだ。だからマイクを持たないでラップをしたんだけど、そうすると両手が使えるから、身振り手振りがより強く出来るし、『伝えたいことがある』って気持ちがより強調できたと思うんだよね。で、『マイクを持ってない』っていうのはHIP HOPに見えないかも知れないけど、そういう“様式”を僕は疑いたいし、そういう様式を越えて、なぜいまだにHIP HOPが好きなのかってことを“HIP HOPの初期衝動”では表わしたかったんだ。決まりごとからもう一度自由になりたいと思ってるんだ」
■今、自由になりたいと感じた理由はなんですか?
「ずっと自由にやりたかったんだよ。それから、SUPER BUTTER DOGの池田貴史とやった『レキシ』なんてホントにメッチャクチャなバンドだったけど、あれによって僕の伝説を一回壊してくれて(笑)、それによって身軽になれた部分もあるかな。そしてレキシの後にはDJ BAKUや真心ブラザーズ、MCUが僕にオファーをかけてくれて、その間に□□□を始めて……って、自動的に輪が広がって、それによってより新しい引き出しが僕の中でも開けられて、より面白く、自由度が増せたと思うんだよね」
■話は前後するんですが、『HARDCORE FLASH』でのせいこうさんを観て、とにかく「ラップが上手い」と思ったんですね。MCとしての活動を本格的には10年以上離れていた人がなぜあれだけのラップを出来るのかはスゴく不思議にも思えましたが、その要因はなんだったんでしょうか。
「それはやっぱり、レコーディング物はそのときに出来たてなわけだから、それよりもライヴを通してより練られて巧くなってるっていうのがひとつ。もうひとつはそういういろんなアーティストとの経験や、ここ10何年、僕が稽古してる小唄や義太夫節っていう古典芸能での経験が僕の声と息に乗っちゃってるからだね。HIP HOPだけを聴いてHIP HOPだけをやってる人は、HIP HOP以上のことは出来ないけど、僕はそうではない。僕が習ってる伝統芸能は、アメリカの建国より古いわけ。そして、そこで培われた日本語を表現するために編み出された息の使い方や間の取り方を、僕はダンス・ミュージックに落とし込んでるわけだから、僕が負けるわけがない」
■なるほど。声の張りも質も、明らかに「建設的」「MESS/AGE」のときよりも高まってるのはそういった理由だったんですね。
「例えば『歳を取ると衰える』っていうのはアメリカ的な発想だよね。でも歳を取れば取るほど良くなるっていうのが、ヨーロッパやアジア、世界のほとんどはそういう発想でしょ、『やっぱり長老はスゴい』ってさ。だから若いときの録音物より良くなっていても何も不思議じゃないし、それはラップにも当てはまるだろうね。その意味では、『アメリカのHIP HOP/ラップ』では歳を取ると辛いと思うんだよね。でも、僕はもっと違う発想でHIP HOPを捉えてるし、今後僕はもっとスゴくなる可能性があると思ってるんだ。だって、僕が聴いてる芸能は、80歳を越えたお爺さんが汗だくだくで1時間以上ソウルフルに演る芸能なんだよね。それを見てると、僕が80歳になったときに、息や体力は確かに若いのには敵わないかもしれないけど、心に響いて響いてしょうがないラップが出来ると思うんだ。僕はそういう考えなんだよ。僕はHIP HOPの中のみで作られた不自由な常識の中で生きてないし、それこそが僕の可能性だと思ってるからね」
■僕なりに『HARDCORE FLASH』のときのせいこうさんの凄味を生意気ですが分析的に考えたら、例えば啖呵売や香具師に近いモノなんじゃないかなって思ったんですね。声と言葉と気迫がグルーヴしてそれが客を掴むっていう、そういう伝統芸能の延長線上にあるんじゃないかなって。
「もちろんそうだね。でも、啖呵売の前にはそれこそ義太夫節や説教節があって、僕はそういう啖呵売みたいなモノのルーツを学んでるんだ。で、僕が義太夫のお稽古をつけてもらってるときに、例えば“長廊下”って一言をとっても、師匠から『今の“ながろうか”の発声だとどれぐらいの長さの廊下か分からない』って言われるんだよ。だから、自分の頭に浮かんだヴィジョンをどう発声するか、そしてそれが相手に伝わるように出来ているかって、一言一言チェックされる。“赤”を表現するにも、それぐらいの濃さの赤なのかを声のトーンで表現しなきゃいけない。義太夫なんかはそれを口伝で何百年もやってきた芸能なんだよね。僕の音楽熱が高まってるのは、今、僕がこういう世界を伝えないでは死ねないからなんだよね。だって、そういった(伝統の)世界と若い世代/文化を翻訳して繋げられるのは僕しかいないんだもん。彼らのソウルと彼らのテクニックをなるべく多く、次の世代に違う形であっても伝えられたらどんなに素晴らしいだろうって思うんだよね」
■その意味では日本語表現の伝統の尻尾、先端に日本語ラップがあるということですか。
「そうしたいわけ。何とも言えず、僕は好きなんだよね、HIP HOPが。よく出来た音楽だと思うし、よく生まれたよ。これがなければ僕は音楽をやっていないし、アガるし暴力的だけど、同時にクレヴァーじゃないと出来ないっていうね。でもそれが均一化してしまったときに僕は飽きちゃって、古典芸能にそういったHIP HOP性を見出してそこに向かったわけだけど、また新しい才能が出てきて、そういった連中が僕に活動の場を与えてくれて、僕も自分が知ってることを僕ってパイプを通して伝えたいって」
■その出し口というのが、今せいこうさんにとっては□□□になりますね。
「□□□はすごくそういう部分を出させてくれるし、僕だけでやってたら伝われらない事が□□□を通すことでより伝わりやすくなってると思う。こういう話をしょっちゅう二人には話してるし、だからか(三浦)康嗣は歌入れをスゴく気にするようになってるし。彼らは彼らでミュージシャンとしての音楽への造詣の深さがあるから、それとの掛け合わせをすることで何とも言えない塩梅の音楽が作れるんだよね。とても彼らは自由だしね。だけどそれはゆるいんじゃなくて、僕が流されそうになると、スゴく頑固に「ここはこうしなきゃいけないと思います」って提示をしてくれる。それは、特に康嗣がヤン(富田)さんチルドレンだからってこともあるだろうし、その意味での自分たちが昔からやってきたことが、違う形で結実してるって感じを受けるよね」
■僕もこのアルバムを最初に聴いたときに、これは21世紀型の、最新の形での「MESS/AGE」なんだなって思ったんですよね。それは内容が似てるってことじゃなくて、作品に通底する“精神”が同じなんだろうなって。
「うん。きっとそうなんだろうね、康嗣は直接は言わないけど。全体を集約した歌詞からスタートするのが『MESS/AGE』だけど、逆に全体を集約した曲で終わるのが『EVERYDAY IS A SYMPHONY』なんだよね。だからこれはオマージュなんだろうなって」
■どちらもアルバム・タイトルと同名曲でもありますね。
「しかも本人(いとうせいこう)が入ってるっていうのも捻りが利いてるよね。でも作ってる最中はその本人はまったく気付かずにイケイケでラップしてるわけよ。で、終わった後に『僕へのオマージュか!調子ノってやってたわ』って気付くっていうね(笑)」
■□□□はHIP HOPやテクノといったクラブ・ミューシックを通過した上で産み出される、非常に現代的で優れたポップ・ミュージックを作るグループであるし、今回の自由闊達なアプローチとスマートな作品のクオリティは本当に評価されるべきモノだと思います。ただ、その意味では□□□はいわゆる保守本流のHIP HOPグループではないし、三浦康嗣も村田シゲも、HIP HOPグループだという意識はないと思うんですね。そういったグループに加入したときに、『HIP HOPの初期衝動』といったテーマが生まれた理由はなんだったんでしょうか?
「この曲はアルバムが8割方出来たぐらいのときに試聴会をグループ内でしてて、とてもソフィスティケートされた素晴らしいアルバムだって確信は持てたのね。だけど、同時に何かが欠けてるんじゃないかって沸々と思ったんだ。そして、それは『ラフでタフな表現』なんじゃないかって。それで僕は『“サブマリンのせい”(□□□「GOLDEN LOVE」収録)みたいな曲が作りたいね』って言ったら、洗練されたモノや具体音ばっかりをいじってた反動か、康嗣も『HIP HOPのトラックが、サンプリングでのサウンドが作りたくて作りたくてしょうがなかったんですよ』って。だから、本当にあの曲は“衝動”なんだよね。『ラップしたい!』と『サンプリングしたい!』っていう衝動がぶつかって、『じゃあやろう』ってあの曲が出来たんだ。ホントにサラサラっと作ったし、『出来ちゃった』って曲だよね。だから想定外の曲だったんだよね」
■最後に、「MESS/AGE」のブックレットの中で、せいこうさんは「日本語は解放されているか」というアジテーションをされましたが、せいこうさんの目から見て、現在は日本語は解放されているでしょうか。特に日本語でのHIP HOPをいうものがマスに受け入れられた現在においては。
「うーん……、手探りの人がいないと思うんだよね。『この人、手探りだけど何かを起こしそうだ』っていうんじゃなくて、みんな綺麗にまとまっちゃってると思うんだよね。それは日本語の使い方としても。それはちょっとドキドキしない。決まりごとや様式だけで成立しちゃうと、それは形骸化した“道”になっちゃうじゃん。例えばお華でもお茶でも、それが形骸化した“道”になったときにまったくアヴァンギャルドじゃなくなってしまう」
■それはHIP HOPも然り、と。
「でも、TwitterやUstreamみたいな新しいメディアが生まれて、こういうネットワークの中から、いろんなジャンルが交差して新しい何かが産まれると思うんだよね。これは(伊藤)ガビンさんのアイディアなんだけど、『日本語ナイトをやりたい』って言うんだ。それは日本語ラップだけじゃなくて、古典芸能から詩人、演劇、お笑いも含めて。でもそれは、みんな“言葉”を巡って本当に手探りをしてる人を集めたいってことなんだろうね。そうやって互いにコネクトしてボーダレスにならないと、蛸壺で終わっちゃうよね。そうじゃなくていろんな表現を越境した中で、何かを産み出したいし、□□□はそういう表現の坩堝の中にあるグループなんだと思うんだよね」
■テクノロジーの進化によって新しい何かが産み出されるというのは、非常にHIP HOP的ですね。
「ネットを初め、みんなが発信できるメディアを持ってる時代になった。その意味では、根源的に何かを考えて、表現できた人がキチンと評価される時代になるんだと思う。例えばTwitterだったら、たった140文字だけど、ちゃんと心を込めて考えた言葉はやっぱりRT(引用)されるし、それはそのつぶやきがパンチラインだからってことだよね。文字であってもやっぱり魂込めた言葉は伝わるし、人間同士だからさ。その意味では、日本語が解放される素晴らしいチャンスが広がってるんじゃないかな。僕は“HIP HOP”と書いて“発明”と読むと思ってるからね」
INFO
□□□(クチロロ)「“ヒップホップの初期衝動”リミックス・プロジェクト」の概要はコチラ!
http://amebreak.ameba.jp/news/2009/12/001231.html
□□□(クチロロ)オフィシャル・サイト
http://www.10do.jp/kuchiroro/
いとうせいこうオフィシャルTwitter
http://twitter.com/seikoito

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