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#RAPSTREAM CO-SIGN feat. 崇勲(『KING OF KINGS -FINAL UMB-』2015年チャンプ)

文:伊藤雄介(Amebreak)

 
内側こもった blash up 磨いた 言葉の力 Punchliner アリスター
これは長丁場 打ち砕けFake star
ひっくり返せ14.5ゲーム差

(“仁王立ちの内弁慶”)
 
 
 アンダードッグ -- 訳すると“敗北者”や“負け犬”といった意味になるが、スポーツなどの世界においては“(不利な状況/下馬評から)追う者”といった意味の方がしっくりくる。要するに“下克上”を起こせる側の者のことを指す言葉だ。
 
 スポーツに限らずHIP HOPにおいても、アンダードッグはシーンの活性化には欠かせない存在だ。著名なラッパーが主流を担う現行シーンにおいて、その位置を虎視眈々と狙うニューカマーは総じてアンダードッグであると言えるが、リリックやスタンスを通して自分たちがそうであると主張する人もいれば、あまり表には出さず飄々と活動するラッパーもいるだろう。
 
 2015年の国産HIP HOPにおいて、その活躍振りを見て真っ先にこの“アンダードッグ”というフレーズが浮かんだラッパーがいる。2015年に開催された鎖グループ主催MCバトル『KING OF KINGS -FINAL UMB-』初代チャンプであり、昨年11月に1stアルバム「春日部鮫」をリリースした崇勲だ。
 
 
埼玉の端の春日部の端 新たな狼煙を確認せよ
劣等感が俺の後ろ 大丈夫、肩組んでやったぜむしろ

(“仁王立ちの内弁慶”)
 
 
 「春日部鮫」というアルバム・タイトルが付けられている通り、現在32歳の崇勲は埼玉県・春日部市の出身。現在も同地に拠点を置いている。
 
「完全なるベッド・タウンっていう感じですね。まあ、都内に行くのにもそんなに不便じゃないし、っていう感じで、特に不自由がないから暮らしやすい街です。ずっと住んでいる街だし、友達もほとんど春日部にしかいないから、歌詞に出て来るのは必然かな、って。ラッパーだと、TKda黒ぶちも春日部が地元ですけど、自分が知ってる限りだとラッパーはそれぐらいですかね。他にもいるのかもしれないですけど」
 
 自身のMC名について、「本名がスグルで、“スー君”っていうのがアダ名だったんです。ラップを始めたときは10代だったんで、“スークン”って名前にしたら歳上の人も君付けしてくれるかな、ってことで。……で、今その弊害が出てるような感じです。『スークンさん』って歳下から呼ばれたりするから(笑)」と自嘲気味に解説する崇勲は、16〜17歳頃に、周りが2PACやEMINEMを聴き出したタイミングに合わせてHIP HOPを聴くようになり、BUDDHA BRAND“人間発電所”で決定的なインパクトを与えられたという。だが、自ら「コミュニケーション下手」と評する彼の性格が災いし、本格的にラッパーを志すまでには少し時間がかかったという。
 
「“人間発電所”を聴いた頃ぐらいからリリックは書き始めてましたけど、録音の仕方も分からないからボーッとしてて。そうしたら友達がウォークマンで何か聴いてて、それを聴かせてもらったら、それが“大怪我”(大神)だったんです。だけど、そこに載っていたのはウォークマンを聴いてたその友達の声で。それで、地元のDJ(『春日部鮫』の収録曲7曲のトラックを担当しているDJ YABO)の家で録音が出来るっていうことが分かり、そいつん家でカセット・テープに自分のラップを録音するようになりました。それが18歳ぐらいの頃です。当時は98年ぐらいでしたけど、NAS“NAS IS LIKE”とかその辺に載っけてラップしてましたね。その頃からライヴはやりたかったんですけど……自分、コミュニケーション能力が圧倒的に低かったから、『どうやってライヴをやったらいいんだろう』って思ってて。頭下げてやるのも気に食わないな、って思ってたし。そうしたら、友達伝いでライヴしてくれるラッパーを探してる人を見つけて、2001年ぐらいに渋谷FAMILYでライヴしたのが初ライヴです。そのイヴェントは、クリスマス直前の単発イヴェントで、そこで披露したラップはクソみたいなモンだったと思うんですけど、超盛り上がったんですよね。それが快感になっちゃって」
 
 
 初ライヴで確かな手応えを得た崇勲。このまま順調にキャリアを重ねていくのかと思いきや、シンプルに事は運ばなかった。
 
「そこから7年間ぐらい、超盛り上がったのはそのライヴだけでした(笑)。最初に盛り上がりのピークが来て、そこからどんどんダダスベっていく、みたいな。かなり苦々しい時期でしたね。あまりにスベるからもうイヤになっちゃって、2〜3年ぐらいライヴとかやらなくなった時期もあって、曲だけ作ってる時期がありましたね。……なんで盛り上がらなかったんですかね……今とスタイルはだいぶ違ったと思うけど、根っこの部分はそんな変わってないと思うんですよね。ただ、あまりみんなが仲良くやってる輪にも入っていくことは出来なかったし、そういう仲良い感じを見ているのもイヤな感じでしたね、当時は(笑)」
 
 彼が10年近く辛酸を舐め続けてきた原因としては、外的要因もあっただろうが、どうやら自身のパーソナリティにも原因があったようで、それは崇勲自身も認めるところだ。
 
「今は多少変わってきましたけど、根本的には広く人と付き合うタイプではないですね。ここまでアルバムが出せなかった理由としては、それが大きいと思います。昔は、ずっと“第三の唇”っていう6〜7人組のグループをやってたんですけど、ライヴのオファーが俺に来るけどメンバーのスケジュール調整が面倒になってきて、『ひとりでやった方が楽でいいな』って思い、ひとりでやるようになりました(笑)。当時のメンバーの何人かは『春日部鮫』に参加してますね」
 
 
 スキルはあるが、同業者と交流するのが苦手が故に、シーン内で上がっていけず燻り続けるという構図は、ラップに限らずどの世界でもある話だと思うが、HIP HOPにはそんな逆境を覆すための舞台がある。近年でその役割を最も果たしているのがMCバトルだろう。作品リリースがなかった崇勲がシーン内で名を上げるには、やはりバトルという現場が最も有効に機能したようだ。
 
「(2000年代前半の) 『BBOY PARK』のMCバトルとかは観てましたけど、漢さんのフリースタイルを観て『ああ、こんなん出来るワケねぇな』と思ってたから、当時はフリースタイルは一切やってなかったんです。だけど、2005年の『UMB』のDVDを観たときに『こんなにフリースタイル出来るヤツがいっぱいいるんだ』って知って、『自分でも出来るんじゃないかな』って思って、自分でも始めました。で、06年の『UMB』予選が初めて出たバトルです、一回戦で負けましたけど。その後のバトルは、『UMB』で言うなら千葉/埼玉予選で決勝まで行ったことはありますけど、大きなバトルで勝ったことはほとんどないですね」
 
 MCバトル・ファンの間では徐々に知られる存在となった2010年代の崇勲ではあるが、目立った優勝歴がないこともあり、彼のことをダークホースと捉えていた人は多いだろうし、それは昨年の『KING OF KINGS -FINAL UMB-』グランド・チャンピオンシップに駒を進めても変わらなかった。著名且つ実力に定評のあるMCが多数エントリーしていた同大会において、彼を優勝候補に挙げていた人は多くなかっただろう。
 


 
 だが、同大会での崇勲は、そんな下馬評を覆す強さを発揮し、見事に全国大会クラスのバトルで初優勝を果たす。実際、筆者も大会当日に現場で彼のバトルを観たのだが、ベスト16〜ベスト8〜準決勝〜決勝と駒を進める毎に、会場の空気が徐々に崇勲の色に変わっていくのが肌で感じられたし、彼もその変化に応えるようにパンチラインを連発していった様は圧巻だった。YouTubeなどで一試合単位のバトルをチェックするだけでは絶対に味わえない、現場で一回戦から通して観ることで感じられるダイナミズムやドラマがそこにはあった。崇勲が“アンダードッグ”であったことも、ドラマ性が増幅した要因だろう。こういうことがあるから、やはりMCバトルは動画を通してだけでなく、極力現場で体感するべきモノだ、と改めて痛感した次第だ。
 
 閑話休題。その『KING OF KINGS -FINAL UMB-』を、崇勲はこう振り返る。
 
「グランド・チャンピオンシップは、結構あっという間って感じでしたね。謎に集中してたから、集中力が切れることなく出来た。普段、バトルに出ても『勝てる』とは思わないんですけど、『負ける』ともまったく思わないんですよ。そういう矛盾した感覚があるんで、負けたら『負けたか』ぐらいの感じで、勝ったら『勝ったか』ぐらいの感じ。でも、ああいうデカイ舞台に立つことが出来たら、自分の良さを伝えられるのにな、とは思ってたんです。だから、下馬評は低かったと思いますけど、面子を見ても自分が負けそうな感じでもないな、と思ってはいました。(自分がダークホースだと思われていた雰囲気は)感じましたね。でも、俺はナメられてるときの方が強くて、そういうときの方が力が出るんです。期待されてるときは大体負けるんですけど(笑)。どんなバトルでも、出ても一回戦は白けてるムードだけど、そこから徐々に空気を作っていくんです。だから、地元で俺のことをよく知ってくれてる人は、『一回戦勝ったら優勝する』って前から言ってくれてたんです。俺という人間を伝えることが出来れば、そこからはコントロールできるっていう自信があった」
 
 
 地元が同じということもあり、フリースタイル巧者のTKda黒ぶちとも交流が深い崇勲。そういった交友関係を通してフリースタイル・スキルが磨かれ、今回の優勝に至ったのかと思いきや、そうではないと彼は語る。
 
「信じてもらえないかもしれないですけど……今年は『KING OF KINGS -FINAL UMB-』に出ましたけど、当日に始まる瞬間まで、まったくフリースタイルはしてなかったんです。基本的にはサイファーには参加しませんし、ひとりで頭のなかで考えたりもしないんで、普段フリースタイルは一切やらない。バトルに出たときだけ。だから、噛むことも多い。で、たまたま良い意味でハマったのがこないだの『KING OF KINGS -FINAL UMB-』だったっていう。2014年の『ブレス式 presents AS ONE』で、TKda黒ぶちとタッグで出たときに優勝して、そのときも『練習したでしょ?』って言われたけど、本番出るまでふたりでフリースタイルは一切しなかった。正直、人とやるフリースタイルは好きじゃないんですよね(笑)。昔、すごい若い子に『一緒にやってくださいよ』って言われて始めてみたら、『Yo Yo、お前のこと、ここでぶっ殺す』みたいなことを言われたりして。そういうことを何回か経験した内に『こういう人たちとやるのはやめよう』って思って(笑)。だから、自分の中でフリースタイルは、溜め込んだモノを一気に吐き出すっていう感覚ですね」
「MCバトルは、観るのは好きなんですけど、自分で出るのはあんまり好きじゃないから、滅多に出ようと思わないです。こないだの『KING OF KINGS -FINAL UMB-』は、アルバムを出す年だっていうのを自分の中で決めてたし、予選が『北関東予選』っていう括りだったんですね。そういう括りなら、無駄な罵り合いとかじゃなくて高いレヴェルでバトルが出来るのかな、っていうのが想像できたんです。だから、北関東予選だから出たっていう感じですかね」
 
 

 
この世に俺がいた事を残す イタコも発狂する怨霊のフルコース
(“外地蔵”)
 
 自身のアルバムを出すタイミングに、プロモーションも兼ねてMCバトルに出て名を売るというのはよく聞く話だが、崇勲の場合はタイミングが絶妙だ。『KING OF KINGS -FINAL UMB-』が開催されたのが9月末。そして、アルバム「春日部鮫」のリリースは11月だ。
  
 「春日部鮫」は、崇勲のアンダードッグ的メンタリティが強調されたパンチラインの数々や、地元・春日部で見てきた景色/事象を綴ったパーソナルなリリックが中心のアルバムだ。
 
「地元の友達とか先輩/後輩に喜んでもらえるモノを作りたいっていうのがまずありましたね。でも、途中でその方向性に関して少し迷いが生じたんですよね。トピック的にあまりにも身内ノリすぎるかな、って」
 
 初アルバムの方向性について悩んでいたタイミングで、崇勲はある大物ラッパーと会話を交わす。
 
「その頃にたまたまBOSSさん(tha BOSS/ILL-BOSSTINO [THA BLUE HERB]) -- 何年か前に自分たちのイヴェントにライヴで呼んだことがあったんですけど -- に会う機会があって相談したんですよ。『ちょっとトピックが……』なんて話してたら『そんなの関係ねぇんだよ。1stアルバムなんだから、お前の好きなように書けばいいんだよ』っていうようなことを言ってくれて。その瞬間から、そのまま『身内ノリ続行』っていう感じで」
「BOSSさんからの言葉は、かなり励みになりましたね。アルバム自体、作り始めたのもBOSSさんが『30歳なんてまだまだヒヨッコだよ。ここから始めても全然遅くないよ』って言ってくれたんですけど、BOSSさんにかけてもらった言葉は、アルバムの歌詞の中にも入ってます。BOSSさんの言葉が背中を押してくれた感じになりました」
 
 昨年の9月頃だったと記憶しているが、筆者もtha BOSSとは彼のソロ・アルバム「IN THE NAME OF HIPHOP」のリリース・インタビュー時に対面/会話を交わしている。取材後、世間話の延長で最近のHIP HOPの話をするというのは、どんなアーティストの取材でもよくあることなのだが、tha BOSSの取材でもそれは例外ではなかった。そして、その際に「最近聴いたヤバいアーティスト」として彼が名を挙げたのが、崇勲だった。
 
 その会話の時点では、筆者は「春日部鮫」を聴いていなかったし、前述したエピソードも知らなかったので、彼が崇勲の名前を挙げたことに少し驚いたのだが、その数週間後に『KING OF KINGS -FINAL UMB-』で優勝し、その後に「春日部鮫」を聴いて、ようやくtha BOSSが言わんとしていたことが分かった。このアンダードッグ的視点は、tha BOSSがTHA BLUE HERBの1stアルバム「STILLING, STILL DREAMING」で表わしていた「追う者」のメンタリティと近いものがある。実際、崇勲もTHA BLUE HERBは好んで聴いていたようだ。
 
「自分の今のスタイルに反映してるってワケじゃないですけど、MSCとかTHA BLUE HERBの、聴いてるこっちが緊張してくるような歌詞……そういうのには憧れましたね。聴いてる人に何らかの感情を一瞬で埋め込むようなスタイルに感銘を受けました」
 
 
 自らのスタンスを、NIKEやADIDASのようなブランド色の強いスニーカーではなく、比較的庶民派な印象の強いCONVERSEの定番スニーカーに喩える“ALLSTAR”や、辛酸を舐め続けてきた時期に溜め込んだルサンチマンを明快に曲名にも示した“わかってねえな”のような曲が象徴しているが、崇勲は自身が不器用で無骨な泥臭い人間であることを隠そうとはしない。
 
「こればっかりは、染み付いちゃってる感覚ですかね。やっぱり、ラップを始めた当初からあまり周りと馴染めず、だけど仲良しこよしやってる人たちは『ヤバイね』って言い合ってるのをクラブの隅で聞きながら『……どこがヤバイんだよ……』とか思ってた期間が長かったんですよね。“わかってねえな”って曲に関しては、ここ何年かはライヴで盛り上がるようになってきたんですけど、昔はまったく盛り上がらなくて。そういう経験もあって、(“わかってねえな”中のリリックの)『皮肉やひがみが俺らのテーマ』とまで言い切っていくしかないな、って感じですかね」
 
 
LISTENER HATER PLAYER Mr,Mr
クオリティクオリティ言う奴へのツイスター
これは逆襲と呼べるぜある種
でも求むその先の拍手

(“HASEGAWA”)
 
 MCバトルの全国大会で優勝し、名刺代わりとなる1stアルバムを完成させた崇勲。彼の人間性がそれらの出来事によって大きく変わることはないのかもしれないが、以前よりも自身の活動に光明が差してきているのは間違いない。今後の展望について、彼はこう語ってくれた。
 
「今回のアルバムは、敢えて半径数キロの世界観で作ったんですけど、作ってたときから『このトピックは次のアルバムに持っていこう』みたいなモノがいくつかあったので、今度は違う自分が出るアルバムをすぐ取り掛かれる段階にはあります。BOSSさんは今、40代中盤でしたっけ?そこまでやれるんだったらラップは続けたいと思いますね。俺は『カッコ良い』とか思われるより『面白い』と思われたいんです。バトルに出てるときもそうだから、『こんなヤツでも勝てるんだぞ』っていう姿勢を示したいという意識があった。だから、俺は自分のまんま、何も変わらずにいけたらいいのかな、って」
 
 

Pickup Disc

TITLE : 春日部鮫
ARTIST : 崇勲
LABEL : Timeless Edition Rec.
PRICE : 1,963円
RELEASE DATE : 2015年11月4日

TITLE : KING OF KINGS -FINAL UMB-
ARTIST : V.A.
LABEL : 鎖GROUP
PRICE : 3,240円
RELEASE DATE : 1月13日