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太華

日本を代表するビートボクサーでありながら、『ULTIMATE MC BATTLE』や人気ポッドキャスト『ブレス式』での司会など、HIP HOPアクティヴィスト的な顔も持つ太華がついに1stアルバム「顔面着地」をリリースした。ビートボックス・アルバムという、HIP HOP全体で見ると決して例が多いわけではないスタイルのアルバムで、ここまで自身のHIP HOP観を反映させたアルバムを作り上げたことは高く評価されるべき。彼のHIP HOPに対する日頃の深い考察が窺える興味深い発言多数だ。

インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)

「HIP HOP自体がロジックを理解してない人には実は辿り着けないものなのかな?って思ったりしてるんですよ。そこに辿り着くためのひとつのきっかけというか。HIP HOPってもっと広くて深くて豊かなモノだし。全ての要素をHIP HOPに仕上げていくための俺なりのやり方、そのメソッドやロジックを少しでも多くの人に分かってもらうための、上から目線になってしまいますけど“教科書”になればいいのかな、って」

 

 MSC/LIBRA周辺での活動、『ULTIMATE MC BATTLE』での名司会っぷり(実際彼の優しさ/厳しさ/懐の深さがあったからこそ同バトルは年々成熟していったという側面は間違いなくある)、そして数々の日本語ラップMCとのセッションやライヴなどを通して太華というビートボクサーの存在を知っているリスナーは多いだろうが、彼には実に豊かな音楽的バックグラウンドがあり、いかに意識高く音楽活動を続けてきているかという部分に関しては、先日リリースされた「顔面着地」で初めて目の当たりにしたという人も少なくないのかもしれない。

 DVD+CDという変則的なフォーマットを通して、ビートボックスの楽しさ/奥深さを啓蒙しながら、ただ“見せ物”にするだけではなく、ビートボックスを使ってどれだけ音楽的なアプローチを提示できるかという、太華が目指した今作の方向性そのものは、彼自身が如何に自分のHIPHOP観と対峙するかということでもあったのだろう。そんな、彼のHIP HOPに対する真摯な姿勢は、このロング・インタビューを読んで頂ければよく分かって頂けるだろう。彼のような存在が、日本のHIP HOPシーン全体を今後も活性化させてくれることは間違いない。


■度々いろんなところで語られてるとは思いますが、太華君がビートボックスを始めた経緯は?
「2002年ぐらいに(大阪から)東京に出て来たんですけど、その頃はまだビートボックスはやってなかったですね。90年代初頭に今も大阪にあるI to Iっていうクラブで働き始めて、イヴェントをやったりDJをやったりもしてたんだけど、例によって不良相手の街のセキュリティ活動的なことばっかになっていく内に30歳越えてしまい、そんな自分に嫌気が差してまって。そんで、自分のやってたイヴェントとかも全部後輩に任せて一旦全部ゼロにしよう、と思って東京に出て来たんです。だから、大阪でサビるのが怖かったのが一番の理由ですかね。ディスじゃないんだけど、そのとき得たかったものがもう大阪にはなかった。で、伏線としてその頃NYにいたAFRAが大阪に帰ってきたら俺のイヴェントでライヴ演るってことが何回かあったんだけど、その後東京に出て来てすぐに渋谷のMODULEで世界獲ったばっかのdj KENTARO君とDJ BAKUが一緒に演ってたんですよ。俺、DJでガッツリいこうと思ってたのに、いきなりそんな二人を見せつけられて。予想できる範囲やったんですけど、その範囲で『こういうことがカッコ良い』と思うことを先に実現されてて。30越えて東京出て来て、ゴボウ抜きすることしか考えてなかったんで、なんかちょっと他の策考えなあかんなー、って思って。そんときにビートボックスの衝撃もAFRAから食らってて『なんやねん、そのカッコ良さ』って腹立ってて。『ビートボックスというものを知ってて、且つその衝撃を知っててそれを体感したことがある』というのがその当時東京で俺以外のヤツが持っていないアドヴァンテージだったんですよ」

■確かに、その当時はビートボックスは現在ほどアートフォームとしては認識されてなかったですよね。元々目指していたDJは、どんなスタイルだったんですか?初めて会ったとき、D-STYLESのT・シャツを着てたのを個人的には覚えてるんですけど(笑)。
「いや、でもあんまりコスらないんですよ。どっちかというと『8小節の美学』というか、『この曲とこの曲をこう合わせるとこういう8小節の別世界が出来上がって次の曲に気持ち良く行けるんやで』っていうミックスが好きだった。かけてた曲も最初に影響を受けたミドル・スクールを進化させた、当時のアングラってカテゴライズされてたものの中でも超コアな方に行っちゃって。大阪を離れた理由は、そういうのに共感してくれる人があまりいない、っていうのもありましたね。自分が家で聴くのもそんなんばっかですね」

■そんな太華君がビートボックスを始めた直接の動機は?
「俺、こんなん言うて嫌われたらイヤなんですけど、東京を見てる大阪のヤツって、なにかしらの(東京に対する)アンチやと思うんですよ。『負けるかい』的な。今でも俺はその辺は変わってないと思うんやけど、当時『さんピンCAMP』とか見て爆笑してた自分がいて。『何か間違ってるぞ』って。あの人らの中では正解やっただろうし、当時のシーンにとっても正解やったんだろうけど、俺にとっては超不正解だったんですよ。曲に出来なくても『もっと俺、考えてるで』って思ってた。唯一認めてたのが山田マンとMICADELICとポチョムキンやったんですよ。ただ単に自分の塩梅で判断してることやから、これが世間のイメージになったらおかしいとは思うんですけど……。なんか『演じすぎ』みたいなんが俺嫌いなんですよ。人って実はめちゃめちゃ平凡やし弱いモンやから、そこから肉付けをされていくべきものやと思うんですけど、そこが見える人が少なかった。『コイツらをひれ伏させるためには何かひとつ超必殺技が必要や』と思ってビートボックスの練習を始めたんですよ。自分のHIP HOPを表現して他を倒すための手段やったのかも分からないですね。(ビートボックスだと)どこでも自分のHIP HOPが出来るわけやないですか。あとは手ぶらが好きってところもありますよね(笑)。ゼロから100のモノを作れる魅力というか」

■例えばラップだと30歳越えてからラップを始める人ってそうはいないですよね。大概は年齢的なところで諦めちゃいますし。太華君も30歳越えてからビートボックスを始めたわけですが、そういう年齢的なことは考えなかったですか?
「年齢とか時間ってホンマ人によってまったく違うじゃないですか。昔AALIYAHが“AGE AIN'T NOTHING BUT A NUMBER”って曲を歌ってたと思うんですけど、俺も前からそう思ってて。厳然とした年齢の衰えはあると思うんですけど、脳味噌だけはホントに自由というか、まさにHIP HOPって脳味噌のモンやと思うんですよ。ブレイクダンスだってフィジカルなものやけどその動きを作る設計図は脳味噌じゃないですか。脳味噌やハートって人によっては衰えを知らないヤツもおるんちゃうん、って。実は遅咲きっていうのは物凄い得なことだっていうのも気付いたし。俺と同年代のラッパーで消えてしまった人も多いですけど、俺なんかいまだにルーキー扱いしてくれますから、こんなラッキーなことはない。だから、俺の人生には合ってる時間の流れ方だったのかな、って思いますね」

■「顔面着地」は、CD+DVDという一般的に言われているようなアルバムの形態じゃないユニークなスタイルですが、一般的なCDアルバムにしなかった理由は?
「買って頂いた人には、まずDVDを観てもらってからCDを聴いてもらった方が俺としてはアリなんですよね。ミュージシャンの真骨頂はライヴだし、特にビートボクサーなんて観てもらわないと分からない。先にCD聴いてもらってもどれが俺なのか分からない人も多いと思うんですよ。よりビートボックスというものを分かってもらうためにはやっぱりライヴの映像が必要やと思ったんですよ。(トールケース仕様なのは)TENGAってグラフィティ・ライターがコレをキャンバスに描いてくれたんですけど、この比率だとCDサイズには収まらないじゃないですか。そしたらLIBRAがトールケースで出してみないかって言ってくれて。CDラックに自分の作品が並べられる良さもあるけど、そこからハミ出る良さも好きなんですよ」

■僕が「顔面着地」を観て聴いた感想としては、アルバムというよりも海外の良質な音楽番組をチェックしてるのに近い感覚だな、って。
「それは嬉しいですね。HIP HOP自体がロジックを理解してない人には実は辿り着けないものなのかな?って思ったりしてるんですよ。ゲットーな虐げられた生活から抜け出すために使うものでもあるし、今の自分を表現するためのものでもあるんですけど、ある程度のところから先はホントにしっかりロジックを理解してないとホントのエッセンスを楽しめないものだと思うんですよ。そこに辿り着くためのひとつのきっかけというか。HIP HOPってもっと広くて深くて豊かなモノだし。例えばタップ・ダンサーが参加しているけど、俺はそれをHIP HOPに仕上げてるわけですよ。全ての要素をHIP HOPに仕上げていくための俺なりのやり方、そのメソッドやロジックを少しでも多くの人に分かってもらうための、上から目線になってしまいますけど“教科書”になればいいのかな、って」

■僕がターンテーブリズムに対して以前から持ってる考えとして、「どんなジャンルのトラックを使っていても、そこにスクラッチやジャグリングといった解釈が入った瞬間にそれはターンテーブリズムになり、故にターンテーブリズムはHIP HOPだ」というのがあるんですけど、その考えはそのままビートボックスにも当てはまるというのをこの作品で再確認しました。
「まず、ボイス・パーカッションとは違うっていうのをいちいち前に出すわけじゃないけど、ビートボックスというのはHIP HOPの中にあったもので、HIP HOPありきで発生したものだっていう事実を分かってほしいですよね。あまりにも最近HIP HOPを理解せずにビートボックスの世界に入ってくる人がいて、みんなテクニックはあったりするんだけど、MPCのパッドを叩いたときに出る、あのタイム感とかタメとか、ああいうのは表現できない。それは、ありとあらゆる曲を聴き込んで、“TOP BILLIN'”のビートがどういう成り立ちで生まれたのかとか、そういうところまで理解しないといけない」

■“TOP BILLIN'”の元ネタは“IMPEACH THE PRESIDENT”で、それをどう刻んで打ち込んで出来たのか、っていうようなことですね。
「そういうのを分かってると分かってないとでは絶対違うと思うんですよ。コピーするなら、俺はオマージュを込めたいから完璧にコピーしたいんですよ。HIP HOPって勉学でもあると思うんですよね。例えば野球とかでも、プロになってもやり続けてるような人にとっては勉学だと思うし。知的探究心を満たしてくれるひとつのメソッドなんだけど、そこをあまりにもみんな『自分、自分』になってて分かってないな、って」

■『ULTIMATE MC BATTLE』の司会など、日本語ラップ的側面から太華君を知った人にとっては、今作のフィーチャリングの人選は多彩に感じるかもしれないですね。
「分かりやすく言えば、イケてるヤツを選んだ。ビートボクサーの利点として、あらゆるミュージシャン/パフォーマーに愛されやすかったので、いろいろ見れたんですよね。その中で自分のHIP HOP観をすごい広い範囲で紡ぎ出すことが出来たので、その広い範囲の中でも『コイツやろ』っていう人の中から、 曲とかDVDの各コンテンツのコンセプトに合うヤツをセレクトしましたね。例えばKIREEK(“指と唇と私”)だったら、俺のビートを俺が口スクラッチするのとアイツらがスクラッチするのとでは全然音が違うじゃないですか。すごいマニアックな視点なんですけど、その違いが分かるように俺のビートをジャグリングして曲を構築してほしくて、それが出来るのがKIREEKしかいなかった。DJ BAKUとPUSHIMと演った曲(“StEpS”)で言うと、俺は昔からPUSHIMを超えるシンガーはいないと思ってて、且つPUSHIMにオマージュのあるDJって誰やろってなったときに、DJ BAKUはカラオケでPUSHIMの曲を歌うぐらいPUSHIMが好きなんで。メッチャ下手なんですけど(笑)。JUMBO MAATCH/KEN KEN/漢/DJ TAKAKIと作った曲(“所信表明”)は、ロック/レゲエ/HIP HOPから攻撃力が完璧なヤツらを布陣して、全ての要素を詰め込むんだけど、俺臭でHIP HOPに染めて」

■ビートボクサーのアルバムって、ラップ・アルバムと比べると色々なアプローチの仕方が考えられると思うんですけど、その一方難しい部分もあるのかな、って思うんですよ。そういう意味では、最初の取っ掛かりが難しいんじゃないかな、って。
「メチャクチャ難しかったですね。アルバム作ろうってなって3年かかってるんですよ。実際に作業に入り始めて1年半かかったし、作業に入る前が長かったですね。周りからもいろんな意見が飛んで来るけど、それを上手く消化できるときと反発しちゃうときがあって、そこが一番苦しかったかも分からないですね。でも、それだけ苦しんだからこそノリで終わらない内容に出来たかな、って思うんですけど。『何やってもいい』だったら何も出来なかったと思いますね。作ってる途中で、やっと自分を肯定できるようになって、自分を肯定できることで自分のやれることをDVDと曲に入れるっていうことでよかったんや、変に作る必要はなかったんやって思えるようになった」

■ビートボックスだけで全てを表現しようとはしてないですよね。ビートボックス+太華君という人間が持っている人間性や音楽的センス/趣味をひっくるめて出してますよね。ビートボックス・アルバムではあるけど、あくまでビートボックスはいち要素に留めてるというか。
「自分でもそういう風に作ったと思います。じゃないと間が持たなかったっていうのもあると思いますけど。今の俺にはビートボックスの技量だけでここまでのヴォリュームは絶対作れないんですよね。いつかはそうしたいと思いますけど、『されどビートボックス』やったりするわけじゃないですか。あと、『俺という人間のアルバム』っていう風にした方が面白いとも思いましたね。他の要素より多少前に出てはいるけど、ビートボックスはあくまで俺のいち要素でしかないわけじゃないですか」

■ビートボックス以外の要素としては、ラップよりもターンテーブリズムの要素の方が前面に出ているような印象を受けましたけど、これはやっぱり太華君が元々DJだったとか、そういうことも関係してるんですかね?
「日本語ラップをやってる人、めっちゃ好きですよ。MSCもSHINGO☆西成も鎮座DOPENESSも……でも、まだ完璧って思える人がそんなにいなくて、っていうところが出ちゃってるのかもしれないですね。一緒に楽曲を演るのは楽しいしリスペクトしてるけど、DJとMCを比べると日本ではまだDJの方が熟成されていると思う。今言われて気付いたけど、音楽アルバムだからそっちを優先させたのかもしれないですね。スクラッチっていう考え方はHIP HOPのキモだと思うんですよ。サンプリング/エディット……全ての要素が込まれてると思うんですよ。だから、DJに対しては物凄いリスペクトがありますね」

■このアルバムは色んな意味で「セッション・アルバム」だと思うんですよ。それはやはりビートボックスだからこそだし、ビートボックスはその性質上セッション・ミュージックであることを宿命付けられてる音楽でもありますよね。でも、それ故に今のラップ・ミュージックにはないピュアな形を保ち続けられるのかな、とも思うんですよ。
「そうですね。でも、それって俺も含めて今の段階での評価であって、実はこの先とんでもない存在感を表わすことになるのかもしれないとも思うんですよ。ビートボックスがその境地に辿り着いたときに自分もその近辺にちゃんといたいな、と思うし。HIP HOPは常に先を見ていなければいけないモンやと思うし、そういう意味ではビートボックス・シーンはまだ幼稚園児ですよ」

■太華君の考えるビートボックスの進化形は?
「進化形かぁ……やはりより人間離れすることでしょうね」

■人間が人間を超えるというか。
「人体って不思議やなぁと思うんですけど、“RAW FAT BEATS”や“CYPHER”とかマイクを使ってないんですけど、たった6年間で、あの時点であのクオリティに自分がなってるってことは、今の俺らを教科書にしてさらに次のレヴェルに上がろうとするヤツはもっと人間離れするんやろうな、って。で、俺らはそこをさらにステップにして上に行ければすごい進化を遂げられるんやないかな、って。まあ、所詮口やから限界はあるとは思いますけど、その可能性は否定したくないですね」


『ブレス式』オフィシャル・サイト
http://breath-shiki.way-nifty.com/

 
 
 
 

Pickup Disc

TITLE : 顔面着地
ARTIST : 太華
LABEL : LIBRA RECORD/LIBPCD-003
PRICE : 3,000円
RELEASE DATE : 8月5日