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田我流

インタビュー:高木“JET”晋一郎

「あるときに、“個”と“社会”、“自分”と“世間”って同じだって思ったんですよね。一個人の中に生まれた怒りとか痛みは、社会に表面化して表われるんだってことに気付いて。だったら、自分の中の諸悪みたいなモノを見つめて、それを徹底して形にすることで、社会の問題を浮き彫りにして、その上で社会をどうするべきなのかを考えることが出来るんじゃないかって」

 多くのアーティストが語る通り、東日本大震災という災害、そして、同時に引き起こされた原発問題やそれにまつわる政治問題などによって、「その上で表現者は何を語るべきか」が昨年以降、突きつけられている。そして、田我流がリリースする「B級映画のように2」もそれに対する田我流としての答えになっている。そこで表現されたのは、彼自身がライナーで“泥の河”と表現した、“自己”としか言いようのない、心の内面の奥深く。自己の中に潜む欺瞞や嘘、醜さを徹底して描き、それが引き起こす社会構造をも描き、その心の中にズブズブと潜り込んでいく。そして、田我流は汚くも居心地の良い自己の内面に取り込まれることなく、“生還”した。その“強さ”を誇るアルバムだ。
 
 
■前作と今作では根本の方向性はかなり違ってますね。
「前作は目に見えるモノだったり、それまでの自分の人生をただぶつけたって感じだったんですけど、今回は自分の得意としてる部分、得意だって自覚してる部分を完全封印したんですよね。それを封印して、新たな引き出しのみを開けるようにして。その上で、今回は自分のパーソナルを掘り下げて、そこで見つけた闇をもっと掘り下げるって方向にしたんですよね。そうすると、自分のことなんだけど、もっと広く届く言葉になるって思って。掘っていくことで人間が誰しも持ってる要素に辿り着いて、より広くなるっていうか」

■大雑把な分け方だけど、「作品集〜JUST」の視点が「自分から外を見る」だとしたら、今回は「自分で自分の中を覗く」っていうのが根本的な違いかなって。
「そうっすね。視点を内側に向けて、自分のコンプレックスや、見ないようにしてたり、見ないフリをしてた部分をちゃんと表面化させて形にしようって。そのイメージは、今の社会に例えると、昨年の3月11日以降に出てきた、今まで見ないフリをしてきたけど震災を契機に噴出して表面化した問題だったりとも通じるなって」

■なるほど。
「あるときに、“個”と“社会”、“自分”と“世間”って同じだって思ったんですよね。一個人の中に生まれた怒りとか痛みは、社会に表面化して表われるんだってことに気付いて。だったら、自分の中の諸悪みたいなモノを見つめて、それを徹底して形にすることで、社会の問題を浮き彫りにして、その上で社会をどうするべきなのかを考えることが出来るんじゃないかって。俺みたいな人間でも何か社会に貢献できないかなって思ったときに、自分のやるべきはそういう行動だと思ったんですよね。だから、このアルバム自体が、俺が感じた今の社会に足りないと思うことを、自分なりに答えたってことですね」

■その意味では、前作が「閉塞した山梨という街によって窒息してしまいそうな自分」という構図だったとしたら、今回はその逆で、「自分(たち)によっておかしくなっている社会」という構図を書くということになりますね。つまり、主体と客体が真逆の構造になってる。
「そうですね。自分の中にある嫉妬や欲望のような負の感情が街を歪ませてるっていう。アルバムを作り始めた段階では、そんな内容ではなかったんですよ。でも、東日本大震災が起きて、全てのモノの見方や価値観が変わって、自分の音楽の聴き方さえも変わってしまった。3月11日以後に出た音楽に、いくつかを除いてはほとんどフィールすることが出来なくなってしまって、『今まで良しとされてたモノはダメだったんじゃないか』って思ったんですよね。だから、そうなってしまった自分の中の原因や病巣を確かめる必要があるなって。それを抉り出さないと、今の社会に必要とされてるモノだったり、人の心に届くモノは出来ないなって。なので、それまでに作ったモノは全部破棄して。そして、その闇を抉ることで、もうひとつ上の段階の表現が出来るハズだって」

■音楽に対してエレクトしない根本を自分の中にまず求めたと。
「そこを探って、そこから浮かび上がったモノからテーマを作って、曲を肉付けしていってって感じでしたね。今回の曲順はほぼ作っていった通りなんですけど、だから、まずなぜ社会に対して怒っているのかとか、そういう部分から形になっていって。そうやって闇をあぶり出していって、且つその闇を受け入れて、いったん自分を殺さないとなって」

■正直、すごく良いアルバムなんだけど、突きつけられる部分も本当に多いし、安易な答えを出さない分、救いを見出すのも難しかったり、聴いてると気が滅入る部分も少なくない作品ですよね。書いてる方はどうでした?
「いや、もうメチャメチャ大変でしたよ。ライヴの数も抑えて、一ヶ月以上家から出ない、人にも会わない時期もあって、ストレスは溜まるし、頭にハゲは出来るし、半分ノイローゼみたいになって。それぐらい自分を追い込みましたね。テーマ的にも昔みたいにサクッと書くってことが出来ないアルバムだし、作ってる途中『ホントに乗り越えられるのかな』って本当に悩んだ。『こんなことやっていいのか』『求められるのか』とも思ったし。でも、このアルバムが出来なかったら、俺のキャリアはお終いだって思ってましたね。だったら死ぬまでに一回ぐらい、トコトンまで突き詰めて作品を作ってみようって」

■それを作り終わったときはどんな感情に。
「とりあえず……泣きましたね(笑)。もう『よくやった!』って。涙がポロポロ出たし、それだけのことをやり遂げたんだって実感もあった。『作品集〜JUST』のときは爽やかな達成感があったけど、今回はもう……嗚咽でしたね、ハハハ(笑)。自分にとって新手のショック療法だけど、それを自分は乗り越えたっていうのは自負としてありますね」

■いやあ、それはすごいな。自分の内面に入って、ライナーにあるように“泥の河”を見つめて、そこから戻ってくるっていうのは、並大抵の精神力じゃ出来ないよなって。その意味では、“RESURRECTION”を聴いて、こういう感情が田我流くんの中にあったんだなってっていうのは結構驚きで。
「出さないようにはしてましたからね。でも、そういったネガティヴな感情や暗さみたいなモノも受け入れることが大事かなって」

■受け入れた上での復活というか。
「受け入れると、(心の)広さと“LUV”が生まれるかなって。歪んだ形のメチャクチャな愛なんですけどね」

■今回のテーマの設定の仕方は?
「基本的には直感ですよね。でも、今回は堕ちてる自分を更に自分でトコトンまで堕として、蹴落とされてる自分を更に客観的にも見るみたいな。堕ちてる自分側からも、堕としてる自分側からも、そのせめぎ合いを見てる客観的な自分からもっていう視点の作り方でしたね」

■それはハゲも出来るね(笑)。“サウダーヂ”で描かれる希望っていうのも「ここではないどこか」という、具体的な希望というより、夢想的な希望だから、すごく切ないし、だからこその渇望を感じるなって。
「『サウダージ(SAUDADE)』の思想ってすごく不思議で、実際にはないモノを求める願望じゃないですか。でも、人間っていうのは『実際にはないモノに理想を持つしかない』っていう、すごく絶望的な発想だなって」

■“ハッピーライフ”も、よく考えるとホントに絶望的な曲ですね。システムからハッピーと規定されることをハッピーと信じる、『未来世紀ブラジル』的な恐怖というか。
「最初に出て来る大学生は、モラトリアム期間の中でそれなりの楽しさと自分なりの安全牌を選んでる。次に出てくるフリーターはすごく空虚な社会批判をしてて、最後のサラリーマンは社会の構成員だけど、実はその構造自体がすごく空虚であるっていう。だから、社会ってみんなの希望とか願望の上に成り立ってると思われてるけど、そこに自己でちゃんと舵を取らなきゃ、幽霊みたいなもんだよってことをSIMI LABと形にしたんですよね」

■この曲は何度も聴けないなって。怖くて。
「パッと聴きは柔らかいんですけど、仕掛けた爆弾が聴く度に爆発するっていうマッド・ポップですよね」

■この曲もそうだけど、相手に答えを委ねるとはまた違う意味で、今回は明確な答えを出してませんね。よく聴けばその真意は分かるようになってますが。
「日本語ラップって、基本的に自己完結と自己啓発なんじゃないかなって思うんですよね。自分で自分を鼓舞するというか。でも多くの場合は、ゲットーの中から出てきて、這い上がって自分の経験の上で『俺は夢を掴んだ』ってわけでもないから、『バイト辛いけど俺は音楽で夢を掴む』みたいな、誰でも歌えるようなモノになる。それをアリにしてしまう一連の流れって、自己啓発以外の何物でもないと思うんですよね。それにリアルを感じる人や、それに鼓舞される人は、それを作って、それを聴けばいいと思うけど、俺はそれに既に興味はない。でも、今回の作品って、誰でも入ってこれるような“余地”は必ずあるし、作ってるつもりですね。“ロンリー”もシチュエーションは抽象的だけど、どこかしら何か引っかかるモノはあるだろうし、誰でも主人公になれると思う。だから、“真ん中”がガラ空きなんですよね、どの曲も」

■確かに、シチュエーションや情報はしっかり構築されてるけど、そこの“主体”が実は曖昧だったりしますね。
「だから入って来られるだろうし、そこに入ってきてもらった方が、聴いてくれた人なりの答えが出せるんじゃないかなって。入ってきたら悪夢みたいな世界かもしれないけど(笑)。でも、想像させるモノを作りたかったんですよね。曲に入ってくるっていう想像もそうだし、自分は何が出来るのかっていう想像もさせたいというか」

■それって、「ポップスになる」ということにもなりますね。誰もが自分を楽曲に仮託できて、自分のモノとして聴けるという。
「それもあるし、そろそろHIP HOPの枠ってモノを取り払って、想像させる音楽を作って攻めていってもいいんじゃないって。HIP HOP以外の音楽が好きな人たちとも邂逅できるモノを作る必要があるなって。J・ポップ的なモノには不満を持ってるし、HIP HOPの方がカッコ良いと当然思ってるけど、それをそのまま持っていっても誤解されるだけだし、既にある偏見をどう外すことが出来るかなって」

■話は戻りますが、自分と社会が同じ/繋がっているという考え方からも感じる通り、リリックにも社会的な言説だったり、国家観のようなモノも多く登場しますね。
「国家ホントにクソだと思っていて、なんとしてもどうにかしないとなって。このアルバムはその運動のひとつでもあるかもしれない。目の前で誰かが倒れてたら、普通は手を差し伸べますよね。でも、今の国はそれをやってない。それはおかしいだろっていうのが根本的にあるんですよね。俺は(思想の)右左もないし、そういう身近なレヴェルで考えてます。極端に言えば、国を動かしてる人間にHIP HOPでいうところの“現場感”が足りないんですよ。そういう現場感が一番大事だと思ってるから。それから、リリックにもあるけど、どうやっても世界は平和にならないと思うんですよね、人間は汚いから。だけど、だからこそ美しいと思うんですよね。もし、世界を平和にしたいなら、みんなが自分のコンプレックスや闇を受け入れて、己がピースになればみんなピースになると思うんですよね。それをしないで『世界を平和に』って言うのは間違いだし偽善だと思ってる。人間は汚いってことを受け入れた人間の方が美しいと思う。だから、BESさんのアルバムとか、あそこまで自分の汚さをあからさまにして、それでも『俺は!』って言えるのなんて、本当に美しいじゃないですか。NORIKIYO君も鬼君もそうだし」

■仏教でいうと、親鸞の悪人正機のような。
「EVISBEATSさんと“ゆれる”を作ってた時に、エビスさんと仏教の話をしたり、彼から禅の本をもらって、仏陀の言葉をよく考えるようになったんですよ。あれほど突き刺さる言葉の数々はないなって。誰が読んでもどこかしら絶対に突き刺さると思う。そういう言葉を元にしてる部分はありますね。それからリサーチも多いと思いますね」

■それは具体的には?
「例えば映画を見て、人はなんで犯罪に走るかっていう主題に対するシチュエーションの作り方だったり、このカットの撮り方をラップに置き換えるとどうすればいいんだろう、って考え方はしましたね」

■それは、映画『サウダーヂ』で演じたことも大きい?
「映画の作り方のノウハウが分かったのは大きかったですね。主題があって、その主題を伝えるためにどういうメタファーを使って、どういう表現をすれば届くのかっていう試行錯誤が間近で見れたのは大きかった。今回の作品作りにもそれはすごく反映されてますね。映画で言えば、今回参考にしたのは、古典で言えば『タクシードライバー』とか、日本だと北野武映画っすかね」

■今回は、直接なにかにインスパイアされたというより、そういう受けた影響を作品に落とし込むって部分が強かったんですか?
「そうっすね。『自分が何にどういう影響を受けてきたか』っていうのも、徹底的に考えましたね。自分がどの音楽に反応してきたかっていうのも、『こうだから自分にピンときたんだ』っていうトコまで分析して。それを整理していく中で、色々なキー・ポイントを自分でも発見しましたね。その中でも北野映画は大きくて、日本人的な侘び寂びと、世の中への無常観は、自分も相当影響されてるなって。本でいったら坂口安吾や太宰治ですね」

■なるほど。その意味では、このアルバムは田我流くんにとっての『堕落論』だったのかなって。大づかみにいえば、価値観を変えざるを得ない大きな事象の後に、それを経た上での自己否定/探求と、その上での回復という。
「まさにそうっすね。作り終わったときに、自分にとっての『堕落論』だったんだって気付きましたね。これだけ入り組んだ作品だと、俺が何を言わんとしてるのかを解き明かそうとする奴が出てくると思うんで、それへの挑戦状ですよね。俺の心の核心を打ち抜く奴が出てくるのも楽しみだなとも思ってます(笑)」

■だからこそ、それを経た上で響く“あの鐘を鳴らすのは、、俺“が本当に強く響くなって。今回、エキストラ・トラックではあるフォーク・ソングを歌ってますが。
「あるときにレコ屋で出会って、『あ、俺はこの曲をアルバムの最後に入れるんだ』ってバーンって思ったんですよね。それでカヴァーさせてもらって。なんか、戦争はまだ終わってないかなって思ったんですよね。何もカタがついてないなって。その意味でもあの曲は歌いたかった。あの曲は俺の中で音楽のあるべき形だって思う部分もあるし、俺が歌うことで誰かが興味持ってくれればなって。あの曲に救いがあるとも思うんですよね」

■戦争が終わっていないということでは、そういったメッセージをECDさんが“STRAIGHT OUTTA 138”でしてますが、客演にECDさんを迎えたのは?
「面識はなかったんですけど、リリックを書いてる途中に、これはECDさんしかいないなって。かつ、この内容なら参加してもらえるっていう謎の自信もあって(笑)。ジェネレーションも相当違うけど、同じトピックでどう向かい合うことが出来るのかっていうのは、自分としてもすごく興味があったし、そのコミュニケーションを取ってみたかったんですよね。だから、本当にいい形に出来たと思う」

■最後に、この次は見えていますか?
「今、もう完璧に燃え殻になってるんで(笑)。あと、ライヴでどう再現するのかがネックですね。曲を書くときにライヴのことを想定してなかったから、どうしようかなって。でも、そういったことを経て、人間的に成長できれば必ず曲も書けると思う。俺の中にもアルバム観っていうのがやっぱりあって、アルバムを作る度に成長が感じられるモノがいいんですよね。だから、成長した後にアルバムがあると思う。ただ、ホントにやりたいのは明るい曲を書くことだから、それを次は作りたい。今のJ・ポップには失われたようなポップス性をちゃんと込めるっていうのが、次の目標かもしれないっすね。それをやってみたい」
 
 

Pickup Disc

TITLE : B級映画のように2
ARTIST : 田我流
LABEL : MARY JOY RECORDINGS/MJCD-059
PRICE : 2,415円
RELEASE DATE : 4月11日