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インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)

「ソロを始めてからHilcrhymeのことがすごく好きになれて、それが大きな収穫だった。ソロ活動開始当初はクラブでのみライヴをやってて、自信マンマンでいたんですけど、やっぱり全然盛り上がらなかった(笑)。盛り上がってたとしても、Hilcrhymeのファンだけで、現場でちゃんと『掴めてない』状態がしばらく続いて、そのときに『Hilcrhymeって、なんてスゲェことやってたんだろう』って思ったんです。Hilcrhymeである自分をちゃんと正面から見て誇れるようになったというのが、ソロをやっての大きな発見だったんです」

 
 2009年にメジャー・デビューを果たし、今年は初の武道館公演まで成し遂げたHilcrhyme。RIP SLYMEやKICK THE CAN CREW、HOME MADE家族やnobodyknows+といった面々が00年代の「ポップなラップ」の象徴なのだとしたら、Hilcrhymeは2010年代の「ポップなラップ」の代表格だろう。そして、(90年代~00年代前半ほど顕著でないとは言え)「売るためのラップ」をすることは、時に(Hilcrhymeが属するフィールドと比べると)アンダーグラウンドなHIP HOPシーンからディスや揶揄の対象となり得ることを意味するし、現役のラッパーの中でHilcrhymeに対してあまり良い印象を持っていない人もいることだろう。
 
 Hilcrhymeのラッパーとして全国的に名を上げたTOCは、2000年代初頭から地元:新潟のシーンで鎬を削ってきた、所謂「現場叩き上げ」のMCだが、もし彼の出自がそういったコアなところでなかったとしたら、恐らく彼はHIP HOPシーンなど見向きもすることなく、Hilcrhymeとして活動を続けていたことだろう。もしくは、その出自があったとしても、メジャー・フィールドでの活動を完全に割り切った上で展開していくという選択肢もあったかもしれない。だが、彼はその選択をせず、2012年頃からソロ活動を開始し、発表してきた音源で自身のHIP HOP性やHIP HOP愛を露わにしてきた。
 
 「そんなにHIP HOPが好きなら、今の成功や地位を捨てて、そこに戻ればいいではないか」、そんな意見も聞こえてきそうだが、果たしてそれは本当に正解なのだろうか?結局のところ、HIP HOPは自己肯定してナンボの音楽だ。誇れる部分がゲットーだろうがきらびやかな成功だろうが、そこを肯定して自分の納得できるラップが出来ればHIP HOPたりうる。少なくとも2010年代のラップは、それを許容する土壌が整っている筈だし、今作「IN PHASE」を聴けば、TOCがHilcrhymeの活動を通して掴んだモノ/苦しんできたことが“SWAG”としてその“SKILL”の中に込められていることが、本サイトの読者なら(好き嫌いは個々のリスナー次第だが)伝わる筈だし、彼の熱が篭った下記の発言を読み通せば、それは更に明解なものとなるのではないだろうか。
 


 
■「HIP HOPとTOC」ということで言うと、TOC君のルーツはどこ/いつにあるんですか?
「大学一年のときに、学園祭で先輩たちが体育館でステージ/ブースを組んで、クラブ・スタイルでイヴェントをやってて、そこに連れて行かれて、初めてクラブのスタイルとラッパーがショウタイムでラップしているのを観て、スゲェ衝撃を受けたんですよね。で、そのときライヴDJをしていた人が、自分と同じアパートに住んでいる人だったんで、その人の部屋を訪ねて『俺もやりたいです』って言ったのがスタートですね。その頃はまだラップも聴いていなかった時期で、高校生の頃にDRAGON ASH“GRATEFUL DAYS”を聴いて『ああ、Zeebraっていうんだ、この人』ってぐらいのレヴェルでした」
 
■ラップを始めた頃は、どんなスタイルでラップしてたんですか?
「“GRATEFUL DAYS”でジブさんを知って、大学生の頃に“MR. DYNAMITE”がヒットしてたんですよね。あのシングルのカップリングに入っていた“PLAYER'S DELIGHT (ZBR-5000 MIX)”でDEV LARGEさんやTwiGyさんを知って、同じアパートに住んでいたDJの人の部屋を訪ねてから、『さんピンCAMP』期の作品までディグするようになったんです。最初のラップのモチーフは、多分ジブさんの『THE LIVE ANIMAL』とか『さんピンCAMP』のヴィデオだったと思います。ジブさんがあのヴィデオの中で、『ここから良い具合に盗んで自分のモノにすればいいんだよ』みたいなことを言ってたのをすごい憶えてますね」
 
■“Swag in my skill”で「聴き直してこい from pager」というラインがあったり、“World View”でTwiGyさんが参加しているので、MICROPHONE PAGERからの影響も大きいのかな?と思っていたのですが。
「ペイジャーからの影響も大きいです。ペイジャーは後々知って、それこそMUROさんも『KING OF DIGGIN'』としてのMUROさんでなく、ラッパーとしてのMUROさんしか最初は知らなかった。あと、TwiGyさんの存在も大きくて、あの人は当時から異色/異質なラッパーでしたよね。それを踏まえると、自分の今の立ち位置と重ね合わせたら、『ギドラから聴き直せ』じゃなくて『ペイジャーから聴き直せ』っていうのは自分の中では大きな違いなんです。そうやって、自分がペイジャーまで掘っていったから、『今の子たちもそこまで掘ってみてから来なさいよ』っていう意味であのラインを書いたんですよね」 
 
■そういったラインもあるということは、2000年代頭にラッパーを志してからは、相当なハイペースで日本語ラップ/HIP HOPをディグしていったという自負がある?
「3年ぐらいで結構掘ったと思うし、その時期は月イチでレギュラー・イヴェントもやってて、ホストMCもやってたから、DJが持ってるレコードは全部知ってないといけないと思い、DJの部屋にひたすらいて、彼が買ったレコードを全部聴かせてもらったりして育った感じですね。もう、没頭しました。そのおかげで大学卒業するのに5年かかりましたし(笑)」
 
■何がそんなに熱中させたんだと思いますか?
「小2~高3まで剣道をずっとやってたんですね。高校のときは親元離れて寮で暮らすぐらいの感じで、昔から完全にひとつのことに没頭していないとダメな性格だったんです。で、大学入ってから剣道を辞めて、剣道に代わるモノを探していた時期にHIP HOPに出会ったから、ずっと続けられてるのかな、って思いますね」
 
■その後、USU aka SQUEZ君らが所属していたNITE FULL MAKERSに加入することになるわけですが、それはこの学園祭の頃からだいぶ後の話ですか?
「2~3年後くらいかな?ラップを始めてから、USU君たちが所属していたINTERFACE & FACTORという会社とは別のクルー/クラブでイヴェントをやっていたので、尊敬しつつも『負けないぞ』っていう意識で接していたんですけど、ラップ始めて一年後くらいにUSU君たちとリンクする機会があって、そのまた一年後くらいにUSU君からNITE FULL MAKERSのプロジェクトに誘われたんです」
 
■で、後にNITE FULL MAKERSを脱退し、同時期にHilcrhymeを結成して、UNIVERSALからメジャー・デビューを果たし、今日に至るわけですね。Hilcrhyme活動初期にやろうとしていた音楽性やコンセプトは、今のHilcrhymeのそれと通じているものなんですか?
「多分、通じてない部分の方が多いかもしれないです」
 
■では、良い悪いは別として、当初自分が思い描いていたヴィジョン通りに進んできているわけではないんですね。
「そうですね。形は変わっていますけど、別の方向で今狙っている部分はあるし、熱意は変わっていないので、そこは救いかな、って」
 
■僕は、TOC君がNITE FULL MAKERSに所属していて、新潟のコアなシーンにいた人だという情報は、Hilcrhymeがブレイクし始めた時期から把握してはいたんですけど、音楽としてTOC君をハッキリ認識したのはHilcrhymeからなんです。だから、TOC君の中に宿る“HIP HOP性”というのもそこまで意識することはなかったんですけど、その意識が変わったのが、DJ ISSAY君の“HOOD FINEST”での客演ヴァースでした。あの曲でTOC君は「HIP HOPがやりたいの/いつまで内緒気づかれないよう/装うの限界偽れないもう」というラインを残していますが、この時期から何か吹っ切れたかのように、コアなHIP HOPシーンにコミットした楽曲やビートジャックを作ってきましたよね。
「ちょうどそのとき、Hilcrhymeだと3rdアルバムぐらいの時期だったんですけど、その頃にHIP HOPフラストレーションみたいなのが完全にリミット・オーヴァーしてしまったんです。かと言ってHilcrhymeには相方がいるし、彼の方向性を捻じ曲げてまで自分のやりたいことを押し通すことはしたくなかった。で、『じゃあ、どうするか?』って思ったとき、SKY-HI君の活動を見て『こんなこと出来るんだ!?』って思ったんです。SKY-HI君がAmebreakとやってた『FLOATIN' LAB』とか、毎日のようにチェックしてて、『コレは革新的だ!』って思ってたんです。俺はアイドルではないから、SKY-HI君とは若干立場は違うと思うけど、SKY-HI君もHilcrhymeでの俺と同じように、AAAの一員としてレコード会社と専属契約を結んでいると思うんですね。で、その契約の縛りは絶対に崩せないモノだろうし、そういうことはやっちゃいけないんだろうな、みたいな自主的な規制が自分の中であったんです。それで、当時のA&Rに、自分の内情も曝け出した上で『Hilcrhyme以外の活動で自分のHIP HOPスタンスを押し出したい』という相談をしたら、『専属解放という手続きがある』ってことを知り、『そんな簡単なことなんだ!』と思って(笑)。その時期に“HOOD FINEST”の話も振られていたから、『この曲で俺のソロのラップを聴いてみて下さい』って言って、レコード会社の人たちにも聴いてもらったんです」
 
■じゃあ、あのヴァースは所属レコード会社の人たちに向けてのメッセージだったんですね!
「完全にそうですね。だけど、俺の中でも『言っちゃいけないんだろうな/やっちゃいけないんだろうな』みたいな自主規制の意識が強かったから不安だったんですけど、実際にあの曲をスタッフに聴かせたら『また違う形でカッコ良いね』って言ってくれて、それが後のソロ活動を行なう上での説得材料になったんですよね」
 
■SKY-HI君の場合は、AAAとラッパーとしてのソロ活動の音楽性/方向性があまりに違う上に、それぞれのスタンスを明確にしやすかったという部分があると思うんですけど、Hilcrhymeの場合は、基本的に“ラップ”と世間に既に認識されているだけに、その立ち位置の示し方は彼より難しいかもしれないですよね。
「仰る通りで、ソロ活動をやっていく上で、Hilcrhymeとのカテゴライズを自分の中でも考えました。例えば、Hilcrhymeのアルバム中の曲とかでも、ボースティングしているような曲は結構あるんです。そういったラップのトラックを、既存のHIP HOPのインストに差し替えたりしたら、普通にHIP HOPな曲になったりする。つまり、自分の中でやり方は変えなくていいと思ったんです。マインドは一緒で、オケとバックDJと見せ方を変えるだけでTOCというHIP HOPアーティストは成り立つな、と思って、今回のアルバムに反映させられたと思っています」
 
■HIP HOPフラストレーションに関して、Hilcrhymeは現在も活動を続けていて、その内容に自信があるからこそ続けられているんだと思うのですが、Hilcrhymeの活動を通して、どの部分にフラストレーションが溜まっていったんですか?
「恐らく、オケの部分だったんですよね。サンプリングして作ってるビートでもないし、相方もHIP HOP畑のトラック・メイカーではない。曲にはAメロ/Bメロがあってサビがあって……みたいな感じで、俺もHilcrhymeでやっていく上ではその方向でいいと思っていたんです。そういった“制限”は、売れるため/音楽で食っていくためには当然なことだとインディの頃から思ってました。地方では特に、身内ノリが多い現場を見ることも多くて、『これだと食っていけないんだろうな』という意識を持ってたので、メジャーの規制や〆切の話だったりに関しては、割と柔軟に受け入れられました。だけど、『もうひとりの自分』の部分にストレスが溜まってきていて、そこを解放してあげる場所を作りたい、という気持ちでソロを始めたんです」
 
■TOC君は、アンダーグラウンドHIP HOPの持つ清貧主義的な側面や、売りに走ると“セルアウト”と叩かれがち、という側面もあるということを理解されていると思いますが、Hilcrhymeに関してはそういった部分でコンプレックスというか、気にしていた部分はありましたか?
「セルアウトっていう感覚はないですね。食っていく以上、売るのは当然だとまず思ってるんです。だけど、売れるモノと良いモノを作るのは違うな、という意識もありました。そのせめぎあいは、メジャー・フィールドで活動する上で一番辛い部分であるし、楽しい部分でもあるんです。で、そのバランスが自分の中で崩れてしまったとき、『どういうのが売れるのかな?』って考えちゃった時期はあります。だけど、そういうことを思って作ったときほど売れなかったりするので、そういう考えは一切捨てようと思って、メジャー・デビューしてから3年目ぐらいからは、『音楽的に良いモノを作っていこう』というシフト・チェンジをしましたね。俺のラップは、歌うというか、ラップをメロディに載せているだけという感覚でやってたんですけど、それは単純に、メロを載せたモノが好きだっただけなんです」
 
■Hilcrhymeというと、TOC君もよく分かっていることだと思うんですけど、所謂日本語ラップ/HIP HOPのアーティストから、揶揄やディスの対象として名前が挙がることが多いですよね。また、「着うたラッパー」といった表現にも、Hilcrhymeが含まれているモノと思われます。そういった言われ方を、自分が大好きなシーンからされてきたことに関して、HIP HOPヘッズであるTOC君はどのように咀嚼してきたんですか?
「2ちゃんねるとか、匿名性の高い場所からのそういう声に関しては、虫の囁きにぐらいしか考えてないんですけど、ラッパーとして名前を出して、しかも自分が教科書としてきたような人たちからそう言われたのは、ひたすら悲しかったのを憶えてます」
 
■悲しみ、というのは「自分は本当はそうじゃない」ということが理解されていないということに対する悲しみ?
「そうですね。憤りとかじゃなく、ただ、悲しかった」
 
■先ほども話に挙がりましたが、アルバムに入っている曲などでは、TOC君のHIP HOP性がより前面に出た楽曲を作ってきていたわけですよね。でも、そういう部分にはなかなか目を向けられない。恐らく、Hilcrhymeをリリックで取り上げていた人たちは、TVやラジオ、CMなどで耳に入ってきた際の印象ぐらいしか持っていない人が大半だったと思います。物書きの立場からすると、気に入らないモノを気に入らないと批判するのは構わないんだけど、仮にアーティストが逆にディスされる立場に置かれて、その程度の認識で判断されてしまった場合、どう思うんだろう?というのは疑問として前々からあったんです。だから、フォローするわけじゃないんですけど、Hilcrhymeや、その他にもHIP HOP愛が強いんだけどポップ・フィールドで活動している人たちは、ある意味では不幸な立ち位置にいるな、と思うことがあります。
「シングル曲だけで判断されてるんだろうな、というのは思ってました。Hilcrhymeが売れたのは、NITE FULL MAKERSを脱退した後だったので、新潟のシーン内でも四面楚歌状態だったんです。守ってくれる人も相談できる人もいない状態で活動しなければいけなかったから、ヘコむことも多かったです。だけど、自分がヘッズの立場で、『この人の曲、有線とかで耳に入ってくるけど好きじゃない。HIP HOPじゃない』と思ったとしたら、多分アルバムまではチェックしてなかったと思うんですよ、正直(笑)。だから、シングルだけで捉えられるのはしょうがないな、と思ってたし、だからと言ってゴリゴリのHIP HOPをシングルでやるのも、Hilcrhymeの方向性と違うと思ったから、どうしようも出来ない状況で、だからこそ悲しかった。“春夏秋冬”や“大丈夫”といった、“愛”だったりを歌った曲を聴いて付いて来たファンの人たちにとっては、そういう(HIP HOP性の強い)部分を求めていない人が大半だと思うんです。曲を出すからには聴いてくれる人がいないと作った意味がないと思ってるので、Hilcrhymeはそういう(HIP HOPシーンに向けた)アンサーは出さないでいいと思ったんです」
 
■Hilcrhyme、というかTOC君のラップを批判する人の中には、TOC君のラップを「KREVAっぽい」と言う人も少なくないですよね。実際、今作を聴けばそれは違うということが分かるようになってると思うんですけど、今こうして話してみて分かったのですが、声質は確かに彼に近いというのはありますよね。こういったことは、例えばZeebra氏が「DMXっぽい」と言われていた頃の話に近いかもしれないし、取るに足らない批判なのかもしれないですけど、そういった批判にTOC君が答えるとしたら、どうなりますか?
「セルアウトとか『着うたラッパー』って言われることよりキツかったのが、『KREVAのフォロワー』って言われたことなんです」
 
■実際、KREVAからの影響はどの程度あったんですか?
「もう……崇拝してましたね。心酔してたというか。死ぬ程聴いてました。KICK THE CAN CREWがブレイクする直前ぐらいの頃に知って、衝撃を受けて、KREVAさんがソロを始めてからの活動も神のように崇めていました。自分の周りには、FG系が好きな人が少なかったから、だからこそ『KREVAが好き』というのが誇りでもあった。だけど、要は聴きすぎたんですよね。だから、言われてもしょうがないというか、『言う人もいるだろうな』という感じではありました」
 
■Zeebra氏のように、ハードコアなスタンスなラッパーから入っていったTOC君が、そこまでKREVA氏に心酔したのは何でなんでしょうか?
「周りが、どっちかっていうと雷/URBARIAN GYM/NITRO MICROPHONE UNDERGROUND辺りの人たちからの影響が強い人たちだったんで、自分の天の邪鬼的な性格もあっただろうし、キックやKREVAさんはメロディに載せていたという部分にグッと来たんです。それで一気に惹かれたんですよね。だけど、“春夏秋冬”を出したぐらいの頃から『KREVAのフォロワー』と言われることが多くなって、その頃は自分の周りのスピード感がめまぐるしすぎて、軌道修正を考える暇もなくリリースやライヴがあったんで、そういったことを考える時間がないまま作品を連発してたんです。で、そういった時期が一年ぐらいあったタイミングで『もう誰っぽいって言われるのはイヤだな』って思って、そこからKREVAさんの音源を聴くのを一切止めたんです。2010~11年ぐらいですね。俺はFG周りの人たちを好んで聴いてたから、ラップもやっぱりそっちの枠/型になっていくじゃないですか」
 
■それはそうですよね。雷やMICROPHONE PAGERに影響を受けた人が後にニトロになっていって、RHYMESTERに影響を受けた人たちがRIP SLYMEやKICK THE CAN CREWになっていったわけだし、それは“血筋”ですよね。
「それはもちろん誇りなんですけど、それ以外のインプットを増やそうと思って、いろんなHIP HOP--日本語/US問わず聴いた結果、“HOOD FINEST”辺りのタイミングで『あ、コレは誰にでも胸を張って言える、オリジナルなモノになったな』って思いましたね」
 
■そういったインプットを増やしていった結果、今作「IN PHASE」で披露されているラップが生まれたんですね。アルバム・タイトルはどういう意味?
「『IN PHASE』というのは“同期”“同調”という意味があって、“PHASE”って言葉には“波形”とか“位相”といった音楽的な言葉も含まれてるんです。今回のアルバムだと、客演してくれたアーティストだったり、ビートを提供してくれたプロデューサーだったりは、8割方、ちゃんと会ってリンクした上で、“外注”っていう感じじゃなく、関係性を築いた上でやってもらったので、客演アーティストと“同調”した部分もあった。それと、時代と“同期”という意味もあって……2014年にソロ・アルバムを出すにあたって、自分が一番好きだった2000年代や90年代のHIP HOPをやっても違うと思ったし、作るんだったらそのルーツを取り入れつつ、現行のジャパニーズHIP HOPを作りたかったんです。あと、新潟にPHASEっていうハコがあったんです。新潟で一番大きなハコで、地元のアーティストはそこに立つことを夢見てマイクを握ってた。もうなくなっちゃったんですけど、『PHASEでやってた感覚/マインドは忘れずに』っていう意味もあります」
 
■今作は、当然Hilcrhymeの作品とは制作に向き合う上での意識は違いましたよね?
「一番意識したのは『リンクした人と演る』というのがまずひとつですね。TwiGyさんにしろISH-ONE君にしろT.O.P.君にしろ、ちゃんとマインド面でリンクしている人とやりたかった。例えば、『HilcrhymeのMCがソロ・デビュー』ということで、いろんな人に高い金額で外注したりしたら、スゲェ豪華なのはもっと出来たと思うんですけど、そういうことは全然求めてなくて、『ちゃんと現場で繋がった人と演りたい』と思って出来ているのが大きいですね。もうひとつは、Hilcrhymeをやりながらもずっと日本のシーンはチェックしていたから、イケてるビート・メイカーやアーティストを見極められた」
 
■恐らく今作は、トラック的にもラップ的にも、“春夏秋冬”以降のHilcrhymeファンにとってはかなり刺激の強い内容だと思います。これまでHilcrhymeで培ってきたファン層はどの程度考えた上で作っていったんですか?
「最初はまったく考えなかったです。そこは気にせずに、新しいファンが聴いてくれたらいい、ぐらいに思ってたんですけど、アルバムを作っていく途中で、ソロのこともすごい期待してくれているファンがたくさんいることに気づいたんです。『“夜クライム”なんてタイトル、君たち全然大丈夫だったんだね』って。リスナーって、見えてないようで実は見えていて、彼らは感覚で捉えるから、詳しい知識やジャンル内の思想がなくても肌で感じることが出来る。その部分は、すごい勘違いしてたし、『Hilcrhymeのファンもターゲットに入れていいんだ』って思いました。『確かにHilcrhymeの音楽でも難しいことはやってきたし、それを考えるとそりゃ免疫は付いてるな』って。内容自体にはその思想は入ってないんですけど、『このアルバムはHilcrhymeのファンにも聴いてほしい』って思うようになりましたね」
 
■ファンのTOC君への信頼が、自分の音楽に対する自信にも繋がったんですね。
「そうですね。欲目で見ても、賛否は半々ぐらいだと思うんですけど、半分は間違いなく自分のスタンスやラップに反応してくれてるってことだから、だからこそHilcrhyme/ソロでそんなにカテゴライズする必要はないな、って思い始めたんです」
 

 
■例えば“Swag in my skill”のような曲に顕著ですが、ラップの内容もラップの仕方も、Hilcrhymeと比べるとかなり突っ込んだことをやってますよね。テクニカル面で、どんなことを意識しましたか?
「制作前半は、Hilcrhymeでは書けない/扱えないモノを作っていったんですけど、中盤辺りから『ラップの幅の広さ』を意識し始めました。福岡のZETTON君と“Bird”を一緒に作ったときに、産まれて始めてラップのディレクションを受けたんです。最初はZETTON君が何を言っているのか分からなかったんですけど(笑)、『ポケットに入れるような感じのフロウにしてみて』とか言われて。今までの自分は、ディレクションなんて受けたこともないし、合否を出してくれる人もいなかったから、新鮮に思う一方、抵抗感もあった。でも、ZETTON君は自分のラップを聴いた上で、自分の聴いてきたモノが偏っているというのが分かったらしく、聴くべきUSのアーティストを教えてもらって、『ここら辺と今のTOCちゃんのスタイルが上手く融合すれば、スゲェ新しい日本語ラップになると思う』って言われたんです。日本語(の発音/響き)になりすぎないように、でも崩しすぎないようにとか、そこら辺のバランスを学びましたね」
 
■フィーチャリングの面々は、やはり意外な人選だと聴き手は思わざるを得ないですよね(笑)。それぞれを起用した理由を教えて下さい。まずは“SIZE”でのSHIKI RECORDS勢(MAR/SNIPE)と弘Jr.。
「USU君がSNIPEと仲が良くて、彼が新潟・長岡のクラブに来たときに紹介してもらったんです。で、その後に“HOOD FINEST”で一緒に演って、彼から『Hilcrhymeとか関係なしに喰らった』って言ってくれて。アンダーグラウンドのラッパーで、最初に反応してくれたのが彼だったんですよね。で、彼のソロ・アルバム・リリースのタイミングでUSU君と京都に行って、SNIPEの親友のMAR君と同じ仲間の弘Jr.を紹介してもらって、今では超仲の良い人たちですね。SNIPEには特に感謝してます」
 
■“Feed Back”に参加したISH-ONEは?
「ISH君は、彼がビート・ジャック/リミックスでブイブイ言わせてるときから好きで、彼の“NEW MONEY”のリミックスが話題になってるときに、『俺もリミックスしよう』と思って、あの曲で初めてビート・ジャックをしたんですよね。そうしたら、ISH君サイドも好意的に見てくれて、(“NEW MONEY”のトラックを手掛けた)YMGから『俺もISH-ONEも作品でしか評価しないから、誰がどうとかじゃなく、単純にあのリミックスが良かったからリンクしたんだ』って言ってくれて、それ以来の仲ですね」
 
■そして、一番意外なところで言うと“夜クライム”でのT.O.P.ですね。確か、彼とTwitter上で揉めたんでしたっけ?まあ、確実に彼発端なんだと思うけど……(笑)。
「(笑)T.O.P.君はもちろんすごいチェックしてたラッパーで、Twitterも面白いし勝手にフォローしてたんです。で、ある日『どんなカワイコちゃんでも俺の部屋でHilcrhymeは流させないぜ』みたいにツイートしてて(笑)、俺のファンがT.O.P.君に『TOCさんが今こういう活動してるのを知ってますか?』みたいにツイートしたら『俺にとっては現場にいない人のひとり』って答えてたんですよね。そこで、俺がそのツイートの間に入って『確かに東京の現場にはいないけど、地方の現場にはいるし、THUGMINATIも聴いてますよ』って言ったら『そこまで現場のことを理解している貴方とはウマが合いそうです』って返ってきた(笑)。で、そのやり取りがあった週末に、俺のライヴが渋谷であったんですけど、そこにT.O.P.君が来てくれたんです。そこで俺のライヴに関して『墨入ってるラッパーより全然リアルじゃねぇか』みたいに言ってくれて。現場で判断してリンクしてもらったから、俺にとってはT.O.P.君との出会いは特に印象深いんですよね」
 

 
■良い話だなあ(笑)。そして、ヴェテランのTwiGyさんと“World View”での共演も興味深いですね。
「2年前に、雷家族のほとんどのメンバーが新潟・上越市のクラブに来てたときがあって、オーガナイザーの人が10年来の仲だったし、滅多に観れない面子というのもあって、会いに行ったんですよね。そこで連絡先を交換して、TwiGyさんが今住まれてる福岡に、ツアーで行ったときは家に遊びに行ったりして、一年ぐらいしてから『一緒に曲やろうか』っていう話になり、今回やっと形になった感じです」
 
■そして、“ReUniTed”に参加しているUSU aka SQUEZ君は、冒頭の話でもあった通り、TOC君とは縁深い人だし、いろいろな過程を経て今回の共演が実現したということは、曲を聴いても分かります。他の客演陣とはまた違う部分で特別な思いがあるんじゃないですか?
「この曲だけ、歌詞を一聴で理解できる人は新潟シーンに昔からいた人たちぐらいなのかな、って思います(笑)。新潟という街で10年以上、第一線で外に向けてラップをやってきたのは、今となっては俺とUSU君しかいないんです。彼には彼の抱えてきた想いがあったし、俺にも俺で抱えてる想いがあった。USU君が最初にそれをヴァースに書いてきたから、僕もそれに応える形で、当時思ってたことなどを書いたんです」
 
■TOC君がNITE FULL MAKERSを脱退したときは、必ずしも良い別れ方でなかったと訊いてますが、彼とは確執があったんですか?
「確執はなかったんですけど、俺とUSU君とは違うところで争い事があって、それが俺にとって納得いかない部分があり、NITE FULL MAKERSを抜けたんです。HilcrhymeのプロフィールにNITE FULL MAKERSのことが載ってないのは、そういう経緯があったからでもあるんですけど、一方で彼らがどれだけ頑張ってきていたのかというのも近くにいて分かっていたから、すごく複雑な状況/心境だったんです。その後、Hilcrhymeがメジャー・デビューしたというのもあり、現場の人たちとは距離を置いていたので、完全に地元のシーンから去った感じだったんですね。で、ソロ・デビューのタイミングで改めてみんなのところに戻ったという感じです。やっぱり、時が解決してくれた部分もあって、モメた相手とも話して和解できたし、今となっては彼らは自分の大切な財産だし、みんな好きですね」
 

 
■“Atonement”は、今作の核のひとつとなるメッセージが込められた曲だと思うのですが、この曲の説明をお願いします。
「自分の中で二面性があって、ひとつはHilcrhymeをガッツリ頑張っていく。もうひとつは、HIP HOPのフラストレーションが溜まっていたということなんですけど、それはある意味、俺はそこに“罪”を感じていたんです」
 
■それは後ろめたさが?
「後ろめたさ……それもあったのかな……」
 
■そのHIP HOP性を犠牲にしてきたわけですよね。
「HIP HOPという神がいるんだとしたら、その神へ償いたい……この曲を作った当時は物凄くそう思ってたんですけど、今のマインドだと『この曲はちょっと重いな』って思ってます。……コレは一番言いたかったんですけど、ソロを始めてからHilcrhymeのことがすごく好きになれて、それが大きな収穫だった。ソロ活動開始当初はクラブでのみライヴをやってて、自信マンマンでいたんですけど、やっぱり全然盛り上がらなかった(笑)。盛り上がってたとしても、Hilcrhymeのファンだけで、現場でちゃんと『掴めてない』状態がしばらく続いて、そのときに『Hilcrhymeって、なんてスゲェことやってたんだろう』って思ったんです。最初のソロ・ライヴは、HIP HOPの形式的な枠にハメていた部分があって、そこを無理してたんですよね」
 
■リアルであろうとした余り、リアルでなくなった。
「そうそう。で、ライヴDJのDJ松永に『Hilcrhymeで持ってるキャッチーさをなんで活かさないんですか。それが一番の武器と言っても過言でないのに』って言われて、『なるほど!』って。そこからだいぶ変わりましたね。Hilcrhymeである自分をちゃんと正面から見て誇れるようになったというのが、ソロをやっての大きな発見だったんです。だから、“Atonement”を今聴くと、『……ここまで思う必要はないのに、当時の俺は可愛いな』みたいな感じで聴いてます(笑)。でも、過程がなければここには辿り着いてないと思うので」
 
■今作をきっかけに、良い意味でTOC君への印象が変わる人が増えると思いますけど、今後はどういう風に活動していきたいですか?
「Hilcrhymeの活動とソロは並行してやっていきます。Hilcrhymeのツアーが来年1月から始まって、3~5月もあるんですけど、2月だけ空いてるので、そこにソロの東名阪+新潟のツアーをやります。当面はその初ソロ・ツアーの内容の確立について大事に考えてます。その先は、さっき言ったようにラップの幅を、もっともっと奥行きを拡げていきたいと思ってますね。日本はもちろんですけど、それ以外のアジア圏も視野に入れて動いていきます。以前、事務所のスタッフに韓国人がいたんですけど、彼からは『ソロの方が韓国では流行りますね』って言われたんです。日本語ラップはなかなか海外に輸出されないけど、撮影でLAに行ったときにカラオケ・バーでBLACK EYED PEASのオケでラップしてみたらめちゃくちゃ盛り上がって(笑)。日本語ラップって欧米にはない独特のグルーヴがあるから、それでどこまで行けるのか、ということに興味がありますね」
 
 
TOUR INFO
TOC LIVE TOUR 2015 "IN PHASE"

2015年2月6日(金)@大阪・梅田クラブクアトロ
2015年2月10日(火)@東京・渋谷クラブクアトロ
2015年2月20日(金)@愛知・名古屋クラブクアトロ
2015年2月28日(土)@新潟・新潟LOTS

料金:前売 4,800円(ドリンク代別)
プレイガイド:ローソンチケット http://l-tike.com/d1/AA02G03F1.do?DBNID=3&ALCD=1&PGCD=231647
※前売りチケットは12月9日から発売開始

 
 

Pickup Disc

TITLE : IN PHASE(限定盤)
ARTIST : TOC
LABEL : NAO PLAN, Village Again
PRICE : 3,002円
RELEASE DATE : 11月26日

TITLE : IN PHASE(通常盤)
ARTIST : TOC
LABEL : NAO PLAN, Village Again
PRICE : 2,138円
RELEASE DATE : 11月26日