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KOPERU

インタビュー:高木“JET”晋一郎

「今回のアルバムは、『自分ぐらいの年齢のリスナーに届けばいいな』って思ったんですよね。自分と同世代や、ちょっと上、ちょっと下ぐらいの人が共感してくれるような作品がいいんかなって。自分がシンプルに書いて、分かりやすく表現できるのは、そういう人に向けてだなって思う部分もあって。でも、それは『今は』っていう感じですね」

 ティーンエイジャーにして大阪を代表するイヴェント『ENTER』でのフリースタイル・バトルを韻踏合組合のメンバーらを破って制し、20歳未満が出場条件ではあったものの、2009年『BBOY PARK』のMCバトルでも優勝するなど、10代の頃からその名前をシーンにアピールしてきたKOPERU。昨年からはKEN THE 390が主宰するレーベル:DREAM BOYに所属し、tofubeatsがトラックを手がけたシングル“DREAM ON”を発表するといった展開をしてきたが、遂にアルバムとなる「大阪キッド」で、そのソロとしての意思表示をアルバムで提示する。そして、そのアルバムでは、彩りのあるフロウに基づいたラップの上手さは当然ながら、青春感やユース感といった感情や情景を物語的に構築し、彼の視点や意識を明らかにしていく。フリースタイル巧者がリリースする、フリースタイル巧者らしからぬ構成は非常に興味深い。
 
 
■キャリア的なインタビューって今まであった?
「ラップ始めて7〜8年経つんですけど、初めてですね」
 
■今までのキャリアを考えると意外な感じもするね。今はいくつになったの?
「先月で23歳になりました」
 
■じゃあ15ぐらいからラップを始めたんだ。
「そうですね。ラップ自体は、僕が小学校のときに、家でRIP SLYMEの“JOINT”がテレビで流れてて、それを観たのが出会いです。ただ、16歳離れた兄貴がいて、兄貴はクラブで働いてたりしてラッパーとかDJの繋がりはあったんですけど、世代が離れすぎてて、あまり影響とかって感じではなくて。活動したてのときにも『今からDJ KENSAWさんと飲みに行くんだけど、お前も来るか?』って急に言われて、畏れ多すぎてちょっと……って(笑)。で、中学に入ってBUMP OF CHIKENやポルノ・グラフティとかを聴いてたんですけど、友達がRHYMESTERを聴いてて、そこから僕も聴くようになって。その流れでFGの人ばっかり聴いてたんですけど、あるとき、友達が韻踏合組合を持ってきたんですよ。それで大阪や自分の地元の豊中のことを歌ってる曲があることに衝撃を受けて、そこから韻踏を聴き始めて。それで一二三屋に行ったり、『ENTER』に遊びに行ったりして。で、当時SNSで知り合った人のイヴェントに遊びに行ってたら、『パソコン持ってるんだったら、マイクがあればラップを録音できる』ってことを教えてもらい、次の日にマイクを買って、『UNDERGROUND THEATERZ』っていうサイトでアップされてたトラックを調達して、曲作りを始めたんですよね」
 
■ラップを始めたのはサイファーとかじゃなかったんだ。
「最初は録音でしたね。でも、ほぼ同時期にUMBのヴィデオを観てフリースタイルの存在を知って、並行してmixiで『梅田サイファー』のコミュニティを見つけ、そこで梅田サイファーに参加して。今までヘッドフォンや映像で聴いてたサイファーが、直で、目の前で行なわれてて、それに参加してる自分に『……ラッパーっぽい!』って。それはめっちゃ思いましたね。『俺!ラップしている今!』って(笑)」
 
■そういうのが平行して起こったんだ。
「そうですね。それで中学校の同級生と『韻数分解』っていうグループを組んだりもして」
 
■いなたいグループ名だな〜(笑)。KOPERU君から見た梅田サイファーってどんな状況だった?
「人間的にどうしようもない人が集まってるというか」
 
■自分もその一員でしょ(笑)。
「『ラップを通してじゃなかったら絶対友達にならへん』みたいな人ばっかりなんだけど、でも肌が合うというか。R(指定)君とかが有名になって、梅田サイファーの知名度が上がって、色んな人が来るようになっても、結局合わなかったりして、他に分散しちゃって、梅田サイファーが一番人が少ないときもあったり。みんな大体“凶器”なんで、来た人をいきなりディスったりするから(笑)。もちろんレヴェルも高いし、上手いから、初心者に優しくはなくて」
 
■それをKOPERU君はどう乗り越えた?
「もう、ひたすら毎週サイファーに参加してって感じで。その間の一週間だったり、地元から梅田までの20分ぐらいの間に、絶対に湧くだろうってアイディアを仕込んだり、自分の得意なネタに持ってくとか、そういうことは考えてましたね」
 
■R指定君とはそこで出会ってコッペパンを結成したんだよね?
「R君との出会いはそうなんですけど、コッペパン自体はもっと前から結成してて。最初は、僕とペッペボムってラッパーのふたりでコッペパンを作ってたんですよ。だけど、『もっと声の低いラッパーが欲しいね』って話になって、R君をスカウトしたんです。それで、もうひとりのMCも参加して4人でやってたんですけど、いろいろあって僕とR君以外のふたりが抜けちゃって、あんまり喋ったこともないふたりが残って(笑)。場所的にもR君は堺で、僕は豊中なんで、大阪でも結構離れてて、遊ぶことも梅田サイファーぐらいで。だけど、せっかくやってるし、解散はしなくていいかなってことで、なんとなく続けて」
 
■コッペパンって、大阪外の人間からすると、10代なのにヴェテランをバシバシ倒すキラーMCのタッグっていうイメージだったんだけど。
「でも、抜けてったふたりがとにかく天才だったんですよ。だから、僕らは脇役ぐらいの気持ちでしたね」
 
■では、バトルに出たキッカケは?
「梅田サイファーで『出てみいや』って言われたんですよね。それで最初は『ENTER』のバトルに出たんですけど、一回戦か二回戦で負けて、それがメチャ悔しくて、『これは本腰入れな』って。それで練習もして、次に出た『ENTER』で優勝したんですよね」
 
■バトル二回目で『ENTER』のバトルに優勝したんだ。
「そうですね。それが15〜6歳のときで。優勝したときは決勝がHIDADDYさんで、延長を二回ぐらいやって勝ったんですよね。だから、そのときは、『やっと終わった……」ってホッとする感触で。でも、朝帰ってきて、その賞金袋を家のリビングに置いて寝るという(笑)」
 
■「母ちゃん、俺やったよ!」って(笑)。梅田サイファーで一番最初に『ENTER』で優勝したのはKOPERU君?
「ふぁんくって人が最初で、確か次が僕で。それから梅田サイファーの人たちも、僕自身もバトルにガンガン出るようになって」
 
■『BBOY PARK 2009』のMCバトルで優勝したのは……。
「あれが16〜7歳ぐらいだったと思いますね」
 
■R君もそうだけど、そうやってバトルに集中してたのと、コッペパンで作品が出なかったのって繋がる?
「これといってはないですね。でも、『BBOY PARK 2009』で優勝してから、『音源をちゃんと作って売ろう』とはふと思って。ただ、出させてもらえるところがなかったんですよね。いっとき、このライヴが終わってなにも進展がなかったら、コッペパンはこれで終わろうってときがあったんですよ。でも、そのときにソニーの人が声をかけてくれて、コッペパンとしてソニーの育成に入ってたんですよ。そのおかげで2010年に『BEAT CONNECTION』のオーディションで横浜アリーナに出させてもらったり。そういう経験はあったんだけど、実ることはなく」
 
■TINY TITAN BOXではCD-Rを作ってたわけだから、制作自体は出来たのかなって思うんだけど。
「でも、しっかりとした録音自体、コッペパンはやってなかったし、リリックを書いてきてスタジオで合わせて、そのままライヴとかが多かったんで。それから、育成に入ってたんで、コッペパンとしては勝手に出すことも出来ずに」
 
■紐付いてるが故に難しくなってたんだ。
「一応、デモぐらいは作ってたんですけど。それで、R君がUMBの本戦出場をキッカケに、2011年ぐらいのタイミングでソロとしてアルバム制作のオファーが来て『ソロでアルバムを作ってみようと思うねん』って話になって。それで『じゃあコッペパンも休止せなあかんね』っていう話になって、組合長(SATUSSY)さんとか、色んな人に『コッペパンは名目上、解散なんですが、一応活動休止することになりまして』って挨拶回りして(笑)。その流れで、僕も結果的にソロになったんですよね。それを2012年4月の『超ライブへの道』の大阪公演で発表させてもらって。だから、自然っちゃ自然にそうなっていきましたね」
 
■R君がソロを作る意志があったとはいえ、休止しなくてもいいような気はするんだけど。
「組合長にもそれは言われたんですけど、『休止かな』ってなんとなく思ったというか。でも、僕は全然納得してないですけどね、休止に。R君のアルバムも、結局出たのが今年になってるし……なんやねん!っていう(笑)。でも、休止ってなったとき『どうする?』って自分に声出して言いましたね(笑)。だから、そのタイミングでKEN(THE 390)さんに声かけてもらわなかったら、今どうなってるか分からないですね」
 
■KEN君に訊きたいんだけど、コッペパンを『超ライブ』に呼んだキッカケは?
KEN THE 390「元々、KOPERUのことを僕も『〈ENTER〉で優勝した16歳』ってところでまず知ったんですよね。しかも、写真見たら『子供じゃん!』みたいな(笑)。それでコッペパンって存在を知って、ライヴを見たらキャッチーで上手いし、バトルの雰囲気とは違うポップさがあって、語弊があるかもしれないけど、FG直系の雰囲気を感じて。あのスタイルなら俺らのお客さんも喜ばせることが出来ると思って、最初期の『超ライブ』から出てもらうようになって。それで、DREAM BOYをレーベルとして動かすタイミングで、KOPERUにも声をかけて。KOPERUがソロで作ってたデモも内容が面白かったんで」
「声をかけてもらったときも、『こういう話をもらったんだけど……』って色んな人に電話してリサーチして(笑)」
 
■信用されてないな(笑)。以降はDREAM BOYSとしての「5DAYS AT THE GAME CENTER」があり、ソロ・シングル“DREAM ON”があったわけだけど、アルバムまでは時間がかかったな、と。
「……なんか作っていいか分かんなかったんですよね。これといったゴーサインがKENさんからなかったんで」
 
■またDREAM BOYのメンバーに批判されてるよ、社長。
KEN THE 390「俺はずっと『作ってよ』って言ってたよ!(笑)」
「それがホントかどうか分かんなかったんですよね(笑)。そしたらYURIKAさんがもう作ってるっていうんで、僕もやらなきゃアカンなって」
KEN THE 390「そうやって追い込まれないとやらないから」
「DREAM BOYイヴェントの後に、istさんとMPCプレイヤーのhokutoと飲んでて、istさんに『もっと頑張らないとダメだよ!』って言われて。それで帰って戻ってすぐにアルバムのイメージ作りに入ったんですよね」
 
■叱られて作り始めたのか(笑)。
「もちろん、それまでにもソロのデモとかを作ってたんですけど、『なんか違うな』感が自分の中で強くて。なんというか、ストレートじゃない、分かりづらいものになっちゃってて。それで、『どうしたらエエんやろう』って思ってたときに、“DREAM ON”を作ったときみたいに、ちゃんと分かりやすい物語を作ろうってイメージが浮かんで。っていうのは、istさんに怒られてから、『そうすればええかも』と思って、まず“DREAM ON”をひたすら聴き直したんですよね。それで『あ、ここから話を膨らましていけばいいのか』って思って、それで今回のアルバムのコンセプトが出来たというか」
 


 
■確かに、“DREAM ON”から派生してる感じはあるよね。ユース感や、青春感みたいなモノから広がってるっていうか。
「だから、全体的に曲の内容が繋がっている部分があるんですよね。出来ていく曲が自然に繋がっていく部分もあって」
 
■アルバムを通して、KOPERU君はこういう人なんだなとか、こういう感受性を持ってるんだなって部分はすごく分かるんだけど、一方で「こういうキャリアで」とか「こういう生い立ちで」みたいな具体的な部分は話してないよね。
「そういう自分自身の部分は、一曲目の“大阪キッド”に詰めてるんでいいかなって」
 
■だから、リリックの隙間からKOPERU君の意識とか、メンタリティみたいな部分が見える感じがして。
「物語的な部分が強いから、このアルバムで語ってることの主人公は、自分じゃなくてもいいっていう感じですね。だから、漫画とか映画を作ってる感じでしたね。そっちの方が面白そうやと思ったし」
 
■ストーリー性とKOPERUっていう本質が虚々実々に繋がってると。その意味でも、1stらしからぬ1stっていう感じだよね。
「それは作ってる最中にも言われましたね(笑)。自分でも『確かにな』って思いますし、考えすぎてこういう作品になっていった感じですね。フレッシュ的な部分は薄いかもしれない。でも、それだけ『どう表現しよう』とか、『どう繋げていこう』ってことはかなり考えたましたね」
 
■その意味では、フリースタイルっていう部分で注目された人が、練られた作品を1stで出すっていうのは面白いなと。
「そういうことをしたり考えるのが好きなんですよね。考えるだけでなかなか行動には移せないんですが(笑)」
 
■それは困ったな(笑)。
「やる気はあるんだけど、そのスイッチの場所は分からない(笑)」
 
■今回は、客演はR指定君だけだけど、物語を練る上では、ひとりの方がやりやすいってことかな。
「でも、それも結果的になんですよね。アルバム作ってて最後の方に『あ、客演がR君しかいない!DREAM BOYのメンバーも入ってない!』って気づいて。で、『……まあ、いいや』と(笑)。でも、今回のような作品で、自分の目指した作り方をすると、客演にフィットするのはR君しかいなくて」
 

 
■全体的な“若々しさ”みたいな部分はKOPERU君の普遍的なテーマになりそう?それとも今回だけ?
「今回のアルバムは、『自分ぐらいの年齢のリスナーに届けばいいな』って思ったんですよね。自分と同世代や、ちょっと上、ちょっと下ぐらいの人が共感してくれるような作品がいいんかなって。自分がシンプルに書いて、分かりやすく表現できるのは、そういう人に向けてだなって思う部分もあって。でも、それは『今は』っていう感じですね。また次は分からない。このアルバムはラップのことも言ってないし、『どう受け入れられるんやろうな』っていう不安はあるんですけど、でも、受け入れられたら嬉しいし、受け入れられないようだったら、またしばらく悩むと思います。それも含めて、反応を見たいって気持ちもありますね。ただ、アルバム作りの作業はめっちゃ楽しかったんで、制作は継続していきたいです。あとは自分のネガティヴな部分を解消していきたい。基本的に人間嫌いなのを直していければなと」
 
■アルバムからするとそんな感じは受けないけどね。
「アルバムは『KOPERU』が作ってるんで」
 
■そのキャラ分けはあるんだ。
「KOPERUは人の悪口とか言わない良いヤツなんですけど、本名の自分は人の悪いところしか見ないし、ガンガン揚げ足とるし。サイファーの友達には”サイコパス”って言われてるんで」
 
■怖すぎるわ!
KEN THE 390「基本的に破滅型だよね」
「超ダメ人間です」
 
■R指定君もそうだけど、コッペパンは自己評価が低めだよね。
「そうかもしれないですね。でも、R指定を倒したいって思うんですよね。ツー・マンというより、対バンで、構成力にしてもバックDJにしても、全てを使ってバトルしてみたい。長いこと一緒にいただけに、戦ってみたいって思うんですよね」
 
■ライヴァルって意識なの?
「意識はしますね。一番意識するのはR指定。自分の出来ないことを一番出来るヤツだなって。向こうも、もしかしたら同じことを思ってるかなって。でも、コッペパンとしても動きたいし、色々考えてますね」
 
■再結成っていう気持ちはあるんだ。
「コッペパンを解散してから仲良くなったんで(笑)。ふたり共ソロ・アルバムを作るっていう苦難を乗り越えて、お互いが如何に大事だったかを理解しました」
 
■難しい関係だな(笑)。
 
 

Pickup Disc

TITLE : 大阪キッド
ARTIST : KOPERU
LABEL : DREAM BOY
PRICE : 2,700円
RELEASE DATE : 12月17日