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NORIKIYO(前編)

インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)

「『雲と泥と手』と『花水木』は、俺からしたらそんなに攻撃的なアルバムではないと思うんですけど、世の中の人たちはそういう風に捉えてしまって、そこがつまんねぇな、って。『ちゃんと全部聴いてよ!全部聴いたらそういう風にならないでしょ?』みたいな。俺はアルバム全体を作るために、そういう(攻撃的な)要素を入れただけのつもりでも、世の中の人はそういう風に捉えてくれねぇんだな、って。そういうイメージを覆したかったというか、そういうことも俺のやりたいことではあるんだけど、『そうじゃないのも俺は出来る』っていうのを『如雨露』で見せたかったんです」

 昨年12月にリリースされた「花水木」以降、「メランコリック現代」のリミックス・アルバムと「雲と泥の手」や配信シングルのリリース、そして、初となるワンマン公演をLIQUIDROOMで敢行するなど、表面的なレジュメをなぞるだけでも、相当に目まぐるしい活動を展開してきたNORIKIYO。そんなNORIKIYOが、年末にダメ押しのごとくドロップしたのがニュー・アルバム「如雨露」だ。
 
 「花水木」「雲と泥と手」では、その圧倒的な制作意欲とクオリティの高さをひとつのアティテュードとしてシーンに見せつけ、それと同時に、既に皆さんご承知であろうディス曲や苦言の数々が波紋を巻き起こしたが、今作「如雨露」では、そういった辛辣さや激しいアティテュードは強くない。今作には、多作家故に生まれた、NORIKIYOの新たな“モティヴェーション”が詰まっているし、そのモティヴェーションが彼の新たな次元を指し示しているという意味で、この一年にリリースされた3枚のアルバムの中で、最も重要な位置付けのアルバムだと筆者は感じた。なので、熱心なファンは今年彼の音楽に一万円前後つぎ込むことになるだろうが、この一枚もスルーしないで買っておくべきだ(笑)。
 
 本サイトでは久し振りとなるNORIKIYOインタビュー。前編ではこの一年間の活動を振り返って頂き、後編では「如雨露」についてたっぷり語って頂いた。本稿から読み取れる、彼の“志”の高さは、共鳴する人もいれば、何か焦りを感じてしまう同業者/関係者(筆者含め)も少なくない筈だ。
 
 
■2014年も、もう終わりを迎えますね。NORIKIYO君的には、今年はかなり活発で重要な一年になったと思いますが。
「幸せな一年だったすね(笑)。音楽をほぼ毎日作ってたし、楽しかったです。オフィスの隣にスタジオも作って、それしか出来ないというか、それだけやってればいい状況になった。書いたらすぐ録れるっていう状況もあったから、実験しまくれたし、音楽でずっと遊んでた感じですね。週末はツアーでライヴ行って、平日は制作して、アルバム制作の間にワンマン・ライヴもやったし」
 
■かなり充実してましたよね。
「そうですね。今までで一番、音楽というモノに触れてたというか。聴いてたというより、作る時間が今まで生きてきた中で一番長かった」
 
■そこまで制作しまくったのは、自分を追い込んでたという部分もあるんですか?
「うーん、そんな追い込んだってワケじゃないんですけど、『花水木』で“仕事しよう”とか書いちゃったし。書いちゃったって言い方もヘンですけど、『本気になったらどこまで出来るのかな?』みたいにトライしたというのはありますね。でも、別に大したことじゃなかったな、というのが第一にあって。いっぱい曲作るっていうのは、誰でも出来ることだし、SNOOP DOGGとかだって3日に一曲ペースで作ってるって言うじゃないですか。そう考えたら、彼は年間何十曲と作ってるワケで、俺の作ってた曲数も別に特別なことじゃないんじゃないか、って。計算してみたら月〜金曜までに一曲上げてるってぐらいのペースだし、普通に働いてる人も月〜金で働いてる人も多いから、そう考えたら逆に少なかったのかな、ぐらいで」
 
■昨年末に「花水木」が出て、そこから数えると計3枚のアルバムが出ましたよね。それぞれのアルバムもヴォリュームがあったから、配信シングルも含めると50曲以上リリースしたわけですよね。
「多分、ボツになった曲や、1ヴァース書いた時点で止めた曲を含めるともっとあるけど、『世の中に出していいかな』と思った曲は70曲強ぐらい作りましたかね」
 
■制作と並行して、8月には恵比寿LIQUIDROOMでワンマン・ライヴもやって、僕も観させて頂きましたが、あのライヴも素晴らしい内容でした。通過点であり集大成なんだろうな、というのを感じたのですが、ワンマン・ライヴが実質初めてだったというのも意外です。
「『そろそろ一回やっとかないとマズいんじゃない?』というか。ラッパーとして、というよりは“ミュージシャン”と自称するのであれば、普段はクラブで30分ぐらいのライヴをやってるけど、それだと見せきれない部分を長丁場のライヴで自分ってモノを観せるということにチャレンジしたくて。そこの“山”は一回登っとかないとな、って。まあ、なんとなくですけどね。当日の映像や音源を聴いてみた感想は、『もっと出来たな』というのが正直なところですね。思っていた以上に出来た部分もあれば、思っていたようにいかなかった部分もある。前者に関しては収穫だったけど、出来なかった部分を埋めていけば、次はもっと良いライヴが出来ると思う」
 
■年末ということで、「今年の漢字」じゃないですけど、今年のNORIKIYO君の活動を自身で一言で表わすと何になりますか?
「うーん、“楽”しかったって感じですかね。(活動を)誰に課せられたってワケじゃないし、自分で勝手にやったことだから、大変だったけど、辛くはなかった」
 
■僕は、今作含め過去3作を聴いて、“整理”という言葉が最初に思い浮かびました。「如雨露」を聴くと、過去2作で歌われていることを何故NORIKIYO君が歌ったのかということが腑に落ちたというか。NORIKIYO君の中で、この3枚のアルバムやワンマン公演は、自分の中で今後に向けての道筋を示したかったという意識はありますか?
「とにかくデカくしたいんですよね。シーンがどうこうとかじゃなく、HIP HOPっていうモノに聴き耳を立ててくれる人の人数を増やしたい。HIP HOP畑で『良い』って言われるモノを出すことって、もう割と簡単なんじゃねぇかな、って。そうじゃないところに行きたい」
 
■それは、所謂HIP HOPシーンやHIP HOP村でやってきたことに対する達成感があるからですか?
「いや、そういう達成感とかじゃなくて、今俺が見てる方向の方が面白そうな景色だから、そっちに行ってみたいな、っていう。『HIP HOP村を捨てた』というより、そこから出て行くというか。おこがましい言い方だけど、それで還元できればいいかな、って。HIP HOPは、可能性が詰まってる音楽/文化だと思うんですよ。いろいろ吸収してどんどんデカくなるモノだと思うし」
 
■HIP HOPシーン内だけを対象にしすぎると、それによって狭まってしまうという意識があった?
「そうそう、狭まっちゃうじゃないですか。表現の仕方も、例えば『友達が捕まちゃって、会えないよね』みたいのを、『懲役に行ってる』とか『ヤツは檻の中』みたいな歌詞にしても、普通に生活を送ってる人からしてみたら取っ掛かりがない歌詞になってしまう。でも、『しばらく会えない、お前とは』みたいなリリックにしたら、転校や転勤で地元からいなくなった友達がいる人とかにも、取っ掛かりが出来るじゃないですか。ストリートでドラッグ・ディールしてるような人にも引っ掛かるように書きながら、普通に街で生活してる人たちにも引っ掛かるような、針の穴を通すようなところの方がより良い表現なんじゃないかな?って。もちろん、俺も直接的な表現の曲をいっぱい書いてきたし、今でもやろうと思えば出来ることだけど、そこより難しそうなことに挑戦したいな、みたいな」
 
■そうすると、根本にある思想はこれまでと地続きだけど、それを伝える手段の時点で、対象を広げたいということですか。
「そうそう。何せ、面積を広げたいんですよ。そういう人たち(HIP HOP外のリスナー)に届くように書いたら、少しはストリートの話とかにも興味を持ってくれる人が増えると思うんです。『NORIKIYO、良いじゃん』って思ってくれた人がHIP HOPを掘っていって、『THUGMINATIも面白い』みたいになってほしい。真面目な人たちでそういうモノ(HIP HOPのストリートな部分)を毛嫌いする人たちにも、その面白さを伝えたいし、より多くの人たちをドープなとこまで引き込みたい。そのためには、その入口が広ければ広い方がいいでしょ、っていう。それが出来たら、俺がストリートのことをまた書いたとしても、そういう人も面白いと思ってくれるだろうし、好きになる人も増えるんじゃないかなって。そうすれば、“村”でやってたような“祭”もデカくなる」
 
■そう思うようになったきっかけってあるんですか?
「『メランコリック現代』を作ってたぐらいからかな。その頃から、『ジャンルを越える』ということを意識し始めたんです。それは、般若君や長渕剛さんとお話させてもらったときから、脳みそがグルグル回り始めたことではあるんですけど。要は、『HIP HOPのNORIKIYO』と言われるんじゃなくて、『NORIKIYOという音楽』があった上で『NORIKIYOの音楽はHIP HOPというアートフォームなんだね』っていう言われ方になりたい。例えば、ユーミンはユーミンじゃないですか。LOVE PSYCHEDELICOがこないだ宇多田ヒカルのカヴァーをしてたけど、宇多田ヒカルの曲でもLOVE PSYCHEDELICOの歌になってる。宇多田ヒカルもそういう最たる例だと思います。宇多田ヒカルはR&Bとかポップスとか、言われないじゃないですか。自分もそういう風になりたい、と思うようになったというか。それはつまり、強烈な個性があるってことなんです。椎名林檎とかも、一聴しただけで彼女の音楽だと分かる。BOSS君だって、HIP HOP云々じゃなくて『ILL-BOSSTIONOというラッパーの音楽』という風にリスナーは感じてると思うんですよね。そういうところまで行きたいし、そういう人が俺以外でももっと増えてほしいんです。そういう場所まで辿り着けば、リスナーにもHIP HOPの幅の広さを紹介できるようになるというか。で、『それを誰がやってるのか』って考えたら、そんなにいないんじゃないかな、って。そういう人がもっと増えたら、自ずと日本のHIP HOP自体が盛り上がり出す筈なんですよ。そういう意味で、長い目で見て再構築の時期なんじゃないかな、って」
 
■今話してくれたことは、ラッパーの意識転換として物凄く重要だと思うし、そういった意識があるかないかで活動内容も変わってくると思います。
「でも、俺がリスナー、つまり受け手のときはNIPPSさんの曲を聴くときみたいに言葉のパズルを紐解く面白さも楽しいんですが、俺が出し手となるときはやっぱ『伝える』ってことが重要だと思うんです。我々の音楽は文字数の多い音楽だし、『そんなに文字数あるのに伝わらないのって、ウソでしょ』っていうか。もちろん、歌にはメロディがあるから、そこでグッと来る部分もあると思うけど、『これこれこうで、こうで』みたいに、ラップって字数使っていろいろ説明したり表現できるじゃないですか。それなのに、最終的に言ってることが分からないっていうのは、良い音楽じゃないんじゃねぇか、っていう。曲が良くても、それを伝える努力はしないとダメだと思うし、それはライヴ/ステージングでも同じだと思います。」
 


 
■確かに、ここ最近のNORIKIYO君のラップは、しっかりリスナーに“説明”しようとしてますよね。例えば今作だと“Go So Far”とか、今のNORIKIYO君の“所信表明”をリスナー/ファンに明快な形で伝えようとしているのが分かります。
「『使えない武器を作らない』というか。俺は、ライヴをするために曲を書いてるから、出来た曲で『面白いモンが出来たな』って思っても、ライヴで演るときのことを考えて『うーん、違うな』って思ったら排除する。それによって、より簡素化するというか。難しくすることって簡単なんですよ。絵を描くのも、何度も筆入れするより、簡素化されたモノでバランスが取れてて良いモノを作る方が難しいと思う。だから、『別にHIP HOPディグってるヤツだけ分かってくれりゃいいんだよね』みたいなモノを作ることに、今俺は興味がない。そういうモノを『面白い』と思って作ってる人も、それはそれで凄いことだと思うんですけど、今の俺にとっては魅力的な“山”ではないんです」
 
■「花水木」「雲と泥と手」で伝えたかったことは何だったのか、改めてNORIKIYO君から説明をお願いできますか?
「なんだったんだろうな……俺にとっては結構昔のことだし、俺からしたら『如雨露』ももう過去の話なんです(笑)。あの頃と今ではテンションも違うし。ああやって、人様のことをとやかく言ったりしたから、そういうアルバムじゃないモノを作りたいと思って、『如雨露』が出来たというのもある。『NORIKIYOってアレでしょ?人に噛みつく人でしょ?』みたいな、そういうのは最近の俺の曲を聴いた人の中にはあると思うんです。でも、それは俺が描きたかったモノのいち要素でしかなかったのに、そこのゴシップ的なところが目立っちゃって、そこばっかりクローズアップされるのはつまんねぇ、って。……あ、思い出してきた(笑)。あの二枚で表現したかったのは“志”ですね」
 
■「如雨露」がこれまでのNORIKIYO君の作品とまったく違う趣の作品だから感じるのかもしれないですけど、あの二作が連作っぽい雰囲気もあるのは、その“志”を一貫して伝えようとしていたからなんでしょうね。
「『雲と泥と手』と『花水木』は、俺からしたらそんなに攻撃的なアルバムではないと思うんですけど、世の中の人たちはそういう風に捉えてしまって、そこがつまんねぇな、って。『ちゃんと全部聴いてよ!全部聴いたらそういう風にならないでしょ?』みたいな。みんなYouTubeとかでディスした曲だけ聴いちゃうからそうなるんだろうけど、俺はアルバム全体を作るために、そういう(攻撃的な)要素を入れただけのつもりでも、世の中の人はそういう風に捉えてくれねぇんだな、って。そういうイメージを覆したかったというか、そういうことも俺のやりたいことではあるんだけど、『そうじゃないのも俺は出来る』っていうのを『如雨露』で見せたかったんです」
 
■今NORIKIYO君が話したように、「花水木」では確かにZeebraや現行のシーンに噛み付いた曲がありましたけど、確かにそれはあのアルバムのごく一部ですよね。「雲と泥と手」でも、名指しでないにしても、現行シーンでNORIKIYO君が納得いかないことを全体に散りばめてはいたけど、それがアルバムの全てではない。でも、そこで僕が疑問に思ったのは、そういった曲を入れることによって、作品が自分にとって不本意な形で伝わってしまう、という危惧をアルバム制作時には感じなかったのか?ということで。
「いや、『言いたいことだから素直に言っちまおう』というのがまずあったんですけど、出してみてから『あー、やっぱこういうことになるんだな』と思いましたね(笑)。でも、言いたいことにフタしちゃうよりそっちの方がいいのかな、って。俺は一応“自称”ラッパーだから、そういうことをビートの上で言うというか。ボクサーだってリングの上で闘うじゃないですか。だから、俺もビートの上でやるのがラッパーだと思ったし、それをエンターテインメントとして昇華できるのがHIP HOPの良いところだと思ったんです。でも、『如雨露』はそういったことを深く考えないで作りましたね。『攻撃的/人を批判するような曲は入れない』というのは最初からありました。その上で、自分のカラーをどう出したらいいのか、ということに重きを置いたというか。良い意味でサクッと聴き流せるようなアルバムを作りたかった……要は、飽きちゃったんですよね(笑)。そっちの方ばっかじゃなくて、『違う楽しみ方もあるでしょ』というか、そういう感じなのかもしれないですね」
 
■確かに、「花水木」「雲と泥と手」では、Zeebraをある種の“象徴”と捉えた、現在の日本のHIP HOPシーンに対する辛辣な言葉の数々が話題になりました。この部分だけがアルバムを語る上でフォーカスされすぎることは、NORIKIYO君にとって本意ではないというのは、今の発言からも分かるのですが、一方でああいった辛辣な表現を踏まえると、今作でNORIKIYO君が表現したかったことの意図がより際立つように感じられるのも事実です。自分が新たな“フェーズ”に行く上で、日本のHIP HOPの現状--良い面も悪い面も含め--は、どれぐらい影響しているのでしょうか?
「影響してるのかなぁ……アレに関しては、俺的には『一回釘刺しといた』だけだから。コレは大前提として言っておきたいんですけど、嫌いで言ってたワケじゃないんですよ。ずっと彼らの音楽を聴いてきて、自分もコレをやりたいと思ってやってきたから、先輩たちにはずっとイケててほしい。ヒーローにはずっとヒーローのままでいてほしいし、それは出来るでしょ?っていう。出来る筈だし、やってたじゃん!って」
 
■自分が見てきたモノが“幻想”だったと思いたくない、ということですね。
「そうそう。だって、それにヤラれて俺も始めたワケだから。自分の母ちゃんを、俺が『おいババア!』って言うのはまだいいとして、他人には言われたくない、みたいな(笑)。すごい勝手な意見だけど、そういう感じなんですよ。エゴの固まりみたいな意見だけど、俺が言う分にはいいけど、メディアとかで『エイYO』みたいに世間一般からいじくられるのはイヤなんです」
 
■「だから俺が言う」と。
「本当に勝手だとは思うんですけど(笑)」
 
■それは、自分もHIP HOPを担っているひとりだという自負があるからですよね。
「俺も端くれだと思ってるし、この“村”の住人だと思うし。でも、『自分たちが好きだって思ってやってきたモノを茶化されたりするってどうなんですか?』って思うし、コレにドップリ浸かったぐらい大好きなモノだから、それを茶化されたくない。そのためには、茶化してくるヤツらに『この音楽、ヤベェんだぜ?』っていうことをライヴで見せるしか、証明する方法がないんですよ。チャートで1位取ったからスゲェとか、そういうのじゃなくて。そういうのはオトナがいっぱい絡んでお金かければ出来ることだから。小箱でもいいから、ライヴでガッツリやって、無理やり友達に連れて来られたようなヤツも『ヤベェ、カッケェ!』みたいになって帰ってくれるような草の根運動とか、そういうつもりで考えてやればいいと思うんですよ。まあ、みんな考えてると思うんですけど、それの強度を増していけばいいと思うんですよね」
 
■要は、「世間からナメられないためには、自分たちがナメられないように振る舞わないといけない」ということですね。
「そうそう、『俺ら、めっちゃ襟正す時期でしょ』っていう。せっかく良い曲書いて良いアルバム出してるヤツらが増えてきてて、『TOKYO TRIBE』も公開されたから、『ちょっとコレ、来るんじゃねぇの?』っていうチャンスだと思うんです。あの映画を観た人の中には、原作しか知らないでHIP HOPのCDなんか持ってないって人もいるかもしれない。そういう人たちが『ANARCHYカッケェ!』みたいにアルバム買ったりライヴに来てくれたりすると、彼はヤバいライヴをするからそこで証明されるワケじゃないですか。そういうヤツらが、学校とかに行って『ANARCHYヤバかったよ!』って友達に言ったり--俺はガキの頃『東京ストリートニュース』っていう雑誌を見て『このRINOって人がヤバいんだよ。〈ラッパーじゃなかったら哲学者になってた〉って、ヤバくね!?』って勝手に学校でプロモーションしてたんですよ」
 
■確かに、周りに教えたくなりましたよね(笑)。
「そう思わせるためには、ライヴで証明しなければいけないっていう、シンプルな話なんですよね、結局」
 
■「雲と泥と手」でも、巷に溢れるリミックスやビート・ジャックについてや、他の人が仕掛けたビーフに物申してたりしてましたけど、要はそういった、HIP HOPに付随しているに過ぎないモノに捕らわれすぎないで、シンプルにカッコ良いモノをカッコ良いままに見せることが大事だ、ってことが言いたかったのかな、って。
「結局そうだと思うんです。要は、『やることやれ!』って話なんですよね。やるべきことをやってれば、ダサくなることはないだろ、っていう。そうなる人もいるかもしれないけど、少なくとも良いアルバムを出せる人はそうならないんじゃない?って。良い曲っていう、使える武器があって、それを使ってもライヴで盛り上がらなくても、それをお客さんのせいにするべきではない。その武器を使ってどう闘うのかは、自分で考えなければいけない。刀を持ってても、遠くで振り回してたら斬れる筈がないじゃないですか。お客さんとの間合いを詰めないと斬れないし、じゃあそのお客さんを近づけるためにはどうするの?っていうことなんです」
 
【後編はコチラ
 
 

Pickup Disc

TITLE : 如雨露
ARTIST : NORIKIYO
LABEL : YUKICHI RECORDS
PRICE : 3,000円
RELEASE DATE : 12月10日