SKI BEATZ |
DATE : 2010/11/29 |
「24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN」で、日本人MCたちと歴史的な共演を果たしたUSの重鎮HIP HOPプロデューサー:SKI BEATZ。あのJAY-Zの初期楽曲を手掛けた……という点はもちろんのこと、現行シーンでも優れたビートを多数生み出している現役バリバリの男だという点も重要だ。なんと大晦日の「24 HOUR〜」カウントダウン・イヴェントで、自身率いるバンド:THE SENSEISと共に来日することが決まっている彼。待望のAmebreak初インタビューで、「24 HOUR〜」の裏話から、JAY-Zとのエピソードまで語り倒してもらったぞ!
インタビュー:小林雅明
通訳:塚田桂子
写真:柳川詩乃
「ドープに仕上がったよ!彼らのラップ、大好きだね。何言ってるかは分からないんだけど、でも感じるものがあるよ!ひとつの部屋でアイディアを発展させて創った自分の音楽を(同じビートを使って)全く別の国でまったく同じことを、まったく別のヴァージョンで演るっていうのは、本当に素晴らしいよ」
既に広く知られているように、あの「24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN」で使われているビートは全て、SKI BEATZが3人組バンド、THE SENSEISを従えて作り上げ、まず(US版)「24 HOUR KARATE SCHOOL」のトラックとして発表されたものである。最近ではCURREN$Yの「PILOT TALK」の中心的なプロデューサーとして、古くはORIGINAL FLAVORのメンバーとして、また、メジャーなところでは、JAY-Zのデビュー曲“DEAD PRESIDENTS”及びデビュー・アルバム「REASONABLE DOUBT」収録曲数曲を手がけたことなどでも知られるSKI BEATZ。現在の活動拠点であるNYのDD172に彼を訪ねた。
■いきなりですが、カラテ・スクールに通ったり、教えていたという経験は?
「子供の頃、親父が空手映画に連れて行ってくれて、12〜3歳の頃かなぁ。それ以来ハマっちまったんだ。AYDっていうレクリエーション・センターがあって、そこで空手を始めてからずっと続けている。空手道場のアシスタントで子供たちに教えたこともあるよ」
■何故ここが道場と呼ばれているのですか?
「ある日CURREN$YとMOS DEF、DAME(DAMON DASH)とDD172でチルしてたときに、俺たちはいつもノンストップで音楽を作っていたから、CURREN$Yが『ここは“24 HOUR KARATE SCHOOL”みたいだ』って言い出したんだ。それにMOS DEFも賛同して、俺のビートで“24 HOUR KARATE SCHOOL”という曲を作り、これでミックステープを作ろうってことになり、いろんなアーティストが次々とこのスタジオに立ち寄り、それが結局はアルバムになった。で、CURREN$Yのそのアイディアが出たときに、俺が“道場”って名付けたんだ。俺が行ってた空手教室でも“DOJO”って呼んでいたからね(アメリカでの空手教室では、普通に“DOJO”、“SENSEI”という言葉が使用されている)。道場っていう名前が、このスタジオに流れるヴァイブに完璧にマッチしたんだ。このDD172のビル全体を道場って呼んでいる。ここにはスタジオ以外にもアートギャラリーもあり、映画監督、ミュージシャン、センセイズ、プロデューサーが集まっているのさ。マジで創造的な空間なんだ。俺は道場から離れない、って言ったほうが正しいね(笑)。ほぼ毎日道場にいるよ。ここで毎日セッションしてる」
■「24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN」のプロジェクトの実現の裏には、空手と言えば日本——日本のHIP HOPアーティストと一緒に演らない手はないだろう、みたいな話もDAMEとあなたとの間にあったのですか?きっかけは?
「空手と日本の繫がりは、DAMEと俺のアイディアだよ。だって理にかなっているからさ。空手は日本で始まった日本の武道なんだから。ただ“24時間”って付けているのは、俺たちはまったく眠りにつくことがないからね。24時間ぶっ通しでこのヴァイブを出し続けているのさ。CREATIVE CONTROL(ヴィデオ制作を含むウェブ上でのプロモ活動を包括的に行なうDD172傘下の一部門)、DD172すべてにね」
■日本のレーベル:R-RATED RECORDSと一緒に仕事をしてどうでしたか? 今回のプロジェクトは具体的にどのように進められていったのですか?
「JONAH SCHWARTZっていうヴィデオ監督がいて、日本のラッパーとたくさんヴィデオを撮っているんだけど、彼がすべてを取り持ってくれた主要人物だ。彼は日本のアーティストをよく知っているし、シーンも熟知している。日本語も堪能だしね、彼がこのプロジェクトを実現させたんだ」
■先行カット“24 BARS TO KILL”では"THE PROWLER 2"のトラックを使っていますが、ヴィデオの内容も、“NIGHT PROWLER”(夜の徘徊者)的なテーマで面白く……。
「ドープに仕上がったよ!彼らのラップ、大好きだね。何言ってるかは分からないんだけど、でも感じるものがあるよ!『ヤツはギャングスタだぜ、コイツはドープだ、彼はホットだ』って具合にね」
■あなたのビートと彼らのラップのハマリ具合はどうでした?
「ドープだよ、マジでドープだ。“24 BARS TO KILL”のデカいヤツのツイストしたシット(と言ってMC漢の早口ラップを真似してみせる)と来たらさぁ、ありゃあ、クレイジーだぜ!ヤツはドープだ。間違いなく伝わってくるね。ひとつの部屋でアイディアを発展させて創った自分の音楽を(同じビートを使って)全く別の国でまったく同じことを、まったく別のヴァージョンで演るっていうのは、本当に素晴らしいよ。ANARCHYだけがこのスタジオに来てレコーディングしたんだ」
■「24 HOUR KARATE SCHOOL」のアイディア自体はいつ頃生まれたものなのでしょうか?
「特に計画したわけじゃなくて、自然に生まれてきたっていうかさ。MOS DEFとも曲を作ったしね。“TAXI”だよ。いい作品に仕上がったし、評判も良かった。MOSとは“24 HOUR KARATE SCHOOL”っていう曲もやったしね。ゥピーッシュ!ゥピーッシュ!(SKI得意の空手チョップ・サウンド。日本語だと、プシー、プシーッ!という感じか)そこからずっと作り続けたんだ。JIM JONESとCURREN$Yが来て“GO”を演った。TABI BONNEYやSTALLEYもどこからともなく現われて、まるで魔法のようにさ、どんどん曲が出来ていってプロジェクトが完成したんだ」
■アルバムであなたが率いているバンド:THE SENSEISの、特にドラムスのDARU JONESが目立っていますが、彼ら3人をどのように選んだのですか?
「俺のベース・プレイヤー:BRADY WATTがギターのJOHN CAVEとDARUを紹介してくれたんだ。最初にBRADYのベースを聴いた瞬間、『お前とやらなくちゃな』と話しかけた。その後、彼がJOHNを連れてきた。最初JOHNはかなり変わっててさぁ(笑)。BRADYがあまりに熱心に『コイツがむっちゃキラーなんだって!!!』と薦めるもんだから会ってみたんだけど、最初はなんだか知恵遅れみたいなギターを弾くから、どうかなぁ、って感じだったんだけど。そうしたらそのうち、クレイジーなのを弾き出して、やっと納得がいったんだ。DARUはさぁ、ヤツはとんでもない人間ドラム・マシーンのようなヤツさ。DARUはマジでクレイジーさ」
■RUN DMCの昔から(それ以前から)HIP HOPはロックも飲み込んできたわけですが、あなた自身はロックのリスナーでもあるわけなのですか?
「ロックは大好きでよく聴くし、特にJIMI HENDRIXなんて大好きだよ。彼はロックにとてつもないソウルフルなアプローチをした。ロックンロールを聴くたびに、何か新しくてクレイジーなものを発見するんだ」
■あなたの好きなロックのアルバムは?
「KING GEORGE DISCOVERYの「KING GEORGE DISCOVERY」(68年)というアルバムがドープだよ。長年のお気に入りさ」
■DAMON DASHがROC-A-FELLAと完全に切れた後でもあなたと手を組んだのは、やはり、あなたとは20年以上の付き合いやお互いの信頼関係があったからなのでしょうか?
「20年以上の付き合いと信頼があったからっていうのは間違いないね。それが全てさ。彼は彼のやりたいことをやっていて、俺はノース・カロライナに帰っていたんだけど、またNYに戻って来たんだ。彼に電話したら『こういうことやってるんだけど一緒にやらないか?』って話になって『もちろん参加したい』ってことになって、彼を訪ねた」
■DASHとあなたとの最初の出会いはいつ頃?ORIGINAL FLAVOR以前から?
「俺がORIGINAL FLAVORでATLANTIC RECORDSと契約を交わしたとき、彼がオフィスでA&Rをしていた。あの日のことは今でも忘れないよ。彼はスタジオによくある椅子に座って、クールに見せようとしてBILL COSBYみたいな格好をしてふんぞり返っていた。そしたら、椅子が後ろにひっくり返ってさ(笑)。あのときの彼の表情といったら、素晴らしかったね。『俺たちうまく行くぜ。俺の名前はDAME DASHだ』と自己紹介をしたんだ。それが俺たちの最初の出会いだよ」
■あなたがSKIと名乗るようになったのは、いつごろ、どんなきっかけで?
「あるときメリーランド州のボルティモアに行って、外でチルしてたのさ。するとあるキッズがラップをしながら通りかかったんだけど、彼の口から出てくるラップがあまりにも素晴らしくて『いったいどうやって言葉を繋げているんだ!?』って訊いてみたんだ。俺は当初ラッパーになりたかったからね。彼に名前を訊かれて、DAVID WILLISだって答えたら、彼に『ああ、じゃぁ、ウィル・スキーだな』って言われて、それ以来それが俺のMCネームになったんだ。“WILL-SKI”とか、後ろに“〜SKI”って付けるのはオールドスクールなスラング。MIKE-SKIとかKOOL ROCK-SKI(FAT BOYS)とかね。ってわけで、俺はWILL SKIになったんだ」
■ちなみに、SKIからSKI BEATZと改名したのは……?
「自分で名前を変えたことはないよ。ノース・キャロライナのホットライトっていうアーティストが作ったある曲に“YOU’RE LOOKING FOR SKI BEATS FOR SKI BEATS’ BACK”っていうラインがあった
んだ。それ以来周りが俺をSKI BEATZって呼ぶようになったから、そのまま使い続けたのさ」
■あなたは、キャリアの初期はパフォーマーであったわけですが、プロデューサー中心にシフトしていったのはJAY-Zのデビュー作への参加が大きかったのですか?
「ラップは大好きだったけど、制作の技術的な面により興味があったから、そっちの方向に変えていったんだ。たまたまJAYに曲を提供するチャンスがあったんだけど、彼は既にすごい才能があったからね。『REASONABLE DOUBT』の前は、俺は自分で制作もするラッパーだったんだけど、『REASONABLE DOUBT』以降制作にシフトしていったんだ」
■あなたのビートを初めて聴いた時、JAY-Zはどんな反応を見せましたか?
「スゴイものを聴いたときにいつも見せるJAY独特の顔をしていたよ。『こいつは俺のシットだぜ!』っていう表情さ。目を細めて頭を振ってね」
■その当時から彼はライムを書き出さないで、そのままブースに入ってレコーディングに臨んでいたのですか?
「2〜3回書いているのを見たことがあるよ。でも、ライムを書いてるっていうよりは、エイリアンみたいな変わったシンボルを書いてたよね。書いていたとしてもほんの短いもので、曲全部を書き出しているのは一度も見たことはない」
■そして、CAMP LOとの仕事で、日本のHIP HOPヘッズの間であなたの名前が完全に定着したわけですが、彼らのアルバムには毎回関わってきてますが、その間にTHE SENSEISのような生バンドとやらせたら面白いと考えたことはありませんでしたか?
「まだだけどね、絶対に実現させたいよ。CAMP LOは俺の一部のようなものなんだ。きっと実現させるさ。いつもそういうことは考えているんだ」
■ところで、生バンドとビートを作るというアイデアを最初に取り入れたのは「PILOT TALK」と「24 HOUR KARATE SCHOOL 」とのどちらだったのですか?
「『24 HOUR SCHOOL KARATE SCHOOL』が最初で、その後に『PILOT TALK』が来た。『24 HOUR SCHOOL
KARATE SCHOOL』はサンプルの著作権使用の許可を得るのに時間がかかったんだ」
■CURREN$Yのミックステープをずっと聴いていると、そのサウンドの傾向をちょうどいいタイミングであなたがすくい上げて「PILOT TALK」という形でうまく集約させたと思うのですが、彼にはいつ頃から注目していたのですか?
「そんなこと言われるのってクレイジーだよな。だって初めてCURREN$Yに会ったとき、俺は彼のことをまったく知らなかったし、彼の曲も聴いたことがなかったし、完全に最近の情報から外れていたんだよ。だから最初に会ったときは『ああ、ダウンサウスのヤツね』くらいにしか思わなかった。実際に彼と知り合ったときに『自分が得意なのを演ってみな』と音楽を流してみた。そのときに彼のなが〜いライムを聴いて初めて、なんでみんな彼とやりたがるかが分かったんだ。ヤツはクレイジーだよ」
■ここ最近、araabMUZIKやKANYE WESTによってMPCのパフォーマンスが注目されていますが、ステージ上でパフォーマー/プレイヤーとしてMPCを扱うという点でも彼らよりヴェテランであるあなたにとって、やはりアーティストとしてステージに立つのは楽しいですか?
「楽しいね!MPCは楽器みたいなもんなんだ。ギターなんかと同じさ。パッドを押したときの観客の反応を見たり、ベース・プレイヤーみたいに、パッドでクレイジーなソロをやったりね!」
■「24 HOUR KARATE SCHOOL」のようなライヴで最大限の力を発揮できる形態は、純粋に音楽的な理由や動機で生まれたものだと思いますが、それと同時にCD制作よりも活動の中心をライヴにシフトしていくアーティストが多くなっている昨今の傾向、そしてリスナーもライヴな音を求めよう
になっている、そんな現状ともリンクしているようにも感じるのですが?
「ライヴ・パフォーマンスは音楽を生き返らせているし、本当のミュージシャンシップをこのゲームに取り戻しているんだ。間違いないね。リスナーもそれを求めていると思う」
■「24 HOUR KARATE SCHOOL」は2010年版「THE CHRONIC」だと原稿に書かせてもらいましたが……。
「(深呼吸して)その比較はすごい評価だね。後に続くには大きな足跡だよ。ふゅ〜(ため息)。でも、本当に絶大な褒め言葉だよ。『24 HOUR SCHOOL KARATE SCHOOL』は好きだし、良いアルバムだと思うよ。全ての曲、参加してくれた全てのアーティストが大好きだ。こういう意見を持ってくれる人がいるってことが嬉しいよ。愛だね。えへへ」
■最後に「24 HOUR KARATE SCHOOL JAPAN」であなたの仕事に初めて興味を持った日本の若いHIP HOPリスナーが、次に聞くべき作品は何がいいか、アドバイス願えますか?
「そうだなぁ。次にCURREN$Yの『PILOT TALK 2』を聴いてもらえたらいいなと思うよ。とても良いアルバムだからね。もし音楽やチルすることが好きなら、そういうヴァイブに連れて行ってくれるのがこのアルバムなんだ」
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INFO:
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![日本を代表するHIPHOPサイト! Amebreak[アメブレイク]](/common/img/siteTitle.png)

