日本を代表するHIPHOPサイト! Amebreak[アメブレイク]
  • INTERVIEW
  • KNOWLEDGE
  • NEWS / REPORT
  • COLUMN
  • RECOMMEND
  • MEDIA
KNOWLEDGE[ナレッジ] RSS

キング・ギドラ「空からの力」 20th ANNIVERSARY SPECIAL (PART 2:インタビュー前編)

インタビュー:伊藤雄介(Amebreak)

「「俺とコッタ君で話していたHIP HOP観とか、『HIP HOP/ラップとはこうあるべきだ』みたいな考えを、日本語のラップで形にしている人なんて多分いないんだろうな、って思ってて、そう思えば思う程、『俺たちはグループとしてやるべきだ』って考えるようになったんだ」-- Zeebra

 
【PART 1】
【PART 2】
【PART 3】
【PART 4】

 
 
CHAPTER 1:THE GENESIS
 
■三人が初めて同じ場に集結した日のことを話して頂けますか?
Kダブシャイン「それぞれのメンバーと会ったときと、三人が同時に揃ったときは別だよね。俺がオアに初めて会ったのは結構後なんだよね」
DJ OASIS「キハ(T.A.K. THE RHHHYME)とヒデ(Zeebra)とコッタ君(Kダブシャイン)が作業してるスタジオに俺が行ったんだよな」
Kダブシャイン「自由が丘の外れの。確かそのときは、キハのデモを録ってたんだっけ?」
Zeebra「あー、違うよ。俺とキハでMIX JUICEっていうユニットをやってて、それのレコーディングをしてたんだよ……クソダセェ名前だな……(笑)当時、怪しい事務所と仮契約みたいのをしてて」
Kダブシャイン「すごい一時的な感じだったんじゃん」
Zeebra「事務所の社長が、スゲェ口八丁手八丁みたいな感じでマジ調子良いヤツだったんだけど、俺らは『こういうのやりたい』って言ってもあっちが提案してきたのがKLFとかで。『もー、マジ分かってくんねぇよ』って、死にそうだった(笑)。で、一回デモを録るって話になって、スタジオに行ったんだよね」
Kダブシャイン「その時点では、俺とヒデの中ではもうギドラをやるのは決まってて、このときがオアと初めて会う日だったんだ。それが93年の頭ぐらいだね」
Zeebra「それぞれと俺とはもっと古いけどね。コッタ君は中2ぐらいから知ってるし、オアとは小学校からの付き合い。最初は、グループを組もうっていう話じゃなく、コッタ君が当時オークランドに住んでたから遊びに行って」
Kダブシャイン「向こうのラッパーのトラック作ったりとか、俺のトラックも作ってよ、みたいな話をしてた」
Zeebra「そんなような話をしてて、向こうに行って色々話してたら、『コレはもう、グループを組んだ方がいいね』って話になった」
Kダブシャイン「2MCでやりたくなって」
Zeebra「『RUN DMCみたいな感じで……』みたいな話をして。で、RUN DMCにとってのJAM MASTER JAY(ライヴDJ)が俺らにも必要だよね、って話にもなってたんだけど、グループ名として“キング・ギドラ”が挙がったときに、『じゃあ、コレでDJがいてキング・ギドラ=三つ首の龍ってことで完璧じゃね?』ってなって、『それだったら紹介したいヤツがいる』って、オアを紹介したんだ」
Kダブシャイン「『スクラッチが上手いんだよー』って紹介されたんだよ(笑)」
 
■ジブさんは80年代後半からラッパーとして動いていたと思いますが、コッタさんはこの時点ではまだ歌詞は書いてても、本格的には活動していなかった時期ですよね?
Kダブシャイン「ラッパーとしてのヴィジョンみたいのは出来始めてて、ソロMCとして出ていくつもりだったんだけど、なんとなくヒデと一緒にやった方が相乗効果も高まると思ったんだ」
Zeebra「俺とコッタ君で話していたHIP HOP観とか、『HIP HOP/ラップとはこうあるべきだ』みたいな考えを、日本語のラップで形にしている人なんて多分いないんだろうな、って思ってて、そう思えば思う程、『俺たちはグループとしてやるべきだ』って考えるようになったんだ。当時(90年代初頭)だったからさ、俺らもまだアップリフティングなラップで、マルコム・Xの自伝読みながらリリック書いたりしてたし」
Kダブシャイン「自分たちのことを5パーセンターズだと思ってたからね。てか、その頃はみんなそうだったし」
Zeebra「『ヒップホッパーは皆リーダーであり、世の中にとって良いインフルエンサーとして生きていかないといけない』っていう意識だった」
Kダブシャイン「ICE CUBEだって『AMERIKKKA'S MOST WANTED』(90年)やったすぐ後ぐらいでしょ?CUBEだってネイション・オブ・イスラムになっちゃってたんだから(笑)」
Zeebra「俺らはそういうモンだと思ってたし、日本にそういうメッセージ=ボムをドロップしたい欲がひたすらあった。多分だけど、俺もオアもその時点で学校を辞めてたし、既存の社会の枠から既に外れた存在だったんだよ。コッタ君も、ギリギリ首の皮一枚繋がってるぐらいの状態でオークランドにいたような人だったし(笑)。だから、『俺たちは既存のシステムに対するカウンターだ』という意識が物凄く強かったんだ。そうなると、否が応でもPUBLIC ENEMYみたいなスタンスになっていく」
 
■当時、皆さんの周りでは、そういった思想レヴェルにまで踏み込んでHIP HOPの話題を共有できた友達はあまりいなかった?
Zeebra「もちろん、キハとかともずっと話はしてきたけど、物事の考え方とか突き詰め方みたいなところに関しては、コッタ君はちょっと違ったのかもね」
Kダブシャイン「ヒデもちょうどNATIVE TONGUEが盛り上がってきたタイミングでNYにいたし、オレもアメリカに行って黒人の置かれている状況を見て、USのHIP HOPも歌詞の内容や背景まで理解できるように聴いてた。そういった意味での造詣の深さは、ヒデも同じぐらいのレヴェルだったけど、その時点までに知り合ってた他のラップ好きの日本人は、そこまでではなかったね」
 
■それぐらい、思想面まで語り合っていたということは、一緒にやるという話になった段階では、もう機が熟しまくっていたわけですね。
Kダブシャイン「そうそう。俺がオークランドに行ってたときは何年もヒデに会ってなかったんだけど、冬休みで久し振りに日本に帰って来たときに会って、当然のように『お前も(HIP HOP)聴いてるんだろ?俺もアッチでやってるぜ』みたいな話をして」
Zeebra「面白かったのが、ちょうどその頃はWU-TANG CLANとかが流行り始めた時期で、いきなりコッタ君とかもM-65ジャケットとか着てて超ハードコアな感じになってた(笑)。俺もバンダナとか巻いてたし」
 
■あ、そうか。その前に会ったときはまだ80年代だったから、ファッションが全然違ったんですね。
Kダブシャイン「80年代後半のヒデとか、ERIC B.みたいな格好してたから(笑)」
 
■すごい不思議なのが、ジブさんとコッタさんは80年代からかなりリンクしていたのに、コッタさんがオアさんと出会うのは93年と、かなり後なんですね。
Kダブシャイン「ヒデの友達はいっぱい知ってたけど、オアは存在も知らなかったぐらいだった」
DJ OASIS「もしかしたら、どこかでニアミスとかはしてたかもしれないけどね。俺は、海外暮らしっていうのを一回もしたことがなかったから、日本に住みながらひたすらHIP HOPの情報をゲトろうとしてたヤツだった。だから、追ってた音楽は確実に同じだったし、俺もヒデと話したら『やっぱ俺と思ってること似てるな』って思ったね」
Kダブシャイン「で、ヒデがオアを紹介してくれたのが93年。そのときに初めて話したら、育った場所がメチャクチャ近かったんだよね。ヒデから紹介されたのに、家はこっちの方が近いんだ、って(笑)。話してみたら、商店街の話とかガキの頃に食べてた店が一緒だったりとかして、親近感を一気に感じた」
DJ OASIS「仲良くなったキッカケとして、それはデカかったよね」
Zeebra「あと、やっぱその頃はひたすら何処かしらで毎日“合宿”みたいな感じだった。オークランドに行ったときもそうだったし」
Kダブシャイン「ヒデの家でもそうだったね」
 
■“合宿”というのは具体的に言うと?
Zeebra「一緒に住んでたし、制作もちょっとずつでも毎日のようにしてた。あとは誰かのとこに行ってみたり、誰かのライヴに乱入してラップしてみたりとか、とにかくいろんなことをやってた」
 
■その時期は、常にみんな一緒にいたんですね。
Zeebra「そうそう。ギュッと濃い時期だったと思うよ」
 
■オアさんが最初にコッタさんに会ったときの印象は?
DJ OASIS「俺は最初、ヒデから『コッタ君っていう人がいて、日本語でライムを書いてて、俺も日本語で書いてみたんだけど』っていう連絡があったんだ。で、『どう?ちょっと(一緒に)やってみねぇか?』って言われて。俺は、その時点では日本語のラップでマトモなのなんて聴いてことがなかったから、逆に興味があったんだよね。……で、最初にコッタ君と会ったときの話なんだけど、コッタ君は俺の目の前にあった階段の下で突然『グルリと周るは首都高速』っていきなりカマしてきたのを覚えてる(笑)」
Zeebra「俺ら、本当そんな感じだったよね(笑)。すぐ何かしらカマしてた」
 
■でも、その「カマしてくる」感じというのは、94年に『YO! MTV RAPS』の東京特集でギドラがインタビューされたときの感じを見ると、すごくよく分かります(笑)。あの映像観ると、みんなめっちゃイキってますからね(笑)。
Kダブシャイン「ハハハハハ」
Zeebra「(当時Kダブシャインが通っていた)テンプル大学で(同じく同大学に通っていた)GAKU MC(EAST END)を紹介されたときも、一言挨拶したらもういきなりラップしてたからね(笑)」
Kダブシャイン「で、その横ですかさずサイドMCみたいのも入れて(笑)」
 
■最初は英語でラップしていたジブさんが、日本語ラップを自分でやってみようと思ったきっかけが、電話越しでコッタさんに日本語のライムをキックされたときだというのは有名な話ですが、そのときのことを詳しく話して頂けますか?
Zeebra「厳密に言うと、日本語ラップは既にキハがやっていた。キハは英語も日本語もやるスタイルだったんだけど、キハの当時の日本語ラップは俺に言わせれば“韻”としてはまだ甘いという印象があったんだ。最後の一文字が一緒、ぐらいのレヴェルだったから」
Kダブシャイン「“機械”、“社会”、“都会”ぐらいな感じかな」
Zeebra「いや、“い”だけで踏むぐらいの感じだったね。だけどコッタ君は、例えば3文字の単語だとちゃんと3文字分踏んでた。俺も、英語でラップするときは単語で韻を踏んでたから、『あ、コレだと“韻”になるな』って思ったんだ」
Kダブシャイン「語尾だけで韻を踏むのも、日本語古来からの定義で言うなら“韻”ってことになるのかもしれないけど、USのラップも80年代と90年代では韻の踏み方がどんどん複雑になって進化していったから、日本語のライミングでも92〜3年風に適応させるという試みをやってたんだ。ライムする部分のアクセントを強調して、文末の音節を合わせるようなパターンをね」
 
■コッタさんのそのライミングを聴いたとき、ジブさんのリアクションはどんな感じだったんですか?
Zeebra「『あぁ、ちゃんと出来てんじゃん。面白そう』って思った。『コレだったら日本語でも“ライム”になるんだな』って感じだった」
 
■「衝撃!」というより「発見!」という感じ?
Zeebra「うん、『コレだったら出来るじゃん。やってみたい』って」
Kダブシャイン「一気に可能性が広がったって思ったんだろうね」
 
■ギドラ前から、それぞれがラップについて試行錯誤していたわけですが、ラッパーとしてのスタンスが確立していったのは、ギドラを結成して以降だと思いますか?
Kダブシャイン「“キング・ギドラ”っていうコンセプトが出来たからね。“宇宙怪獣”だったり“空からの力”だったり。オアのサウンドに因るところも実はデカイ。オアの音を聴いたときに、そこで“宇宙感”みたいのはあった」
 
■またベーシックな質問になってしまいますけど、キング・ギドラというグループ名を思いついたのは誰だったんでしたっけ?
Kダブシャイン「本屋でいろいろ雑誌を見ながらヒデと決めたんだよね」
Zeebra「ゴジラ関連の本とか見なかったっけ?」
Kダブシャイン「アメリカで活動するっていう展開も考えてたから、アメリカ人も認識しやすいように、『日本のモノと言えば』ってところで『ゴジラ』に出て来るキャラクターの名前を見てたんだ。で、キング・ギドラは“ゴールド”だったり“ドラゴン”ってところがHIP HOP的だと思ってさ」
Zeebra「当時はそれこそWU-TANG CLANが流行ってたし、オリエンタルな感じがアリだったんだよね」
Kダブシャイン「いろんな意味で、日本を“レップ”してるような感じにしたかった」
 
■じゃあ、“SF感”を重視したというより、“日本感”を重視した結果のグループ名だったんですね。
Kダブシャイン「そうだね。だけど、“宇宙怪獣”=“敵”とされているモノが外から来たけど、実際はその“敵”が正しいことを言ってるんじゃないか?っていう、PUBLIC ENEMY的なコンセプトも込めていた」
Zeebra「PUBLIC ENEMYって名前自体がそういうことじゃん?『公共の敵』だけど正しいことしか言ってない、そんな感じ」
Kダブシャイン「でも、悪者扱いされる、みたいな」
Zeebra「当時話してたのは、ゴジラが固定観念/既成概念の象徴で、日本的な“システム”の象徴のゴジラを潰すために、キング・ギドラが金星からやって来たってことで」
Kダブシャイン「カウンター・カルチャーっていう意識がメチャクチャ強かった。俺たちは社会からドロップ・アウトしていたけど、ドロップ・アウトしていたからこそ見れた真理みたいのがあって、それを表現したかったんだ」
 
■仮に、グループを組むという話にならないで、それぞれがソロ・ラッパーとしての道を歩んでいたとしたら、全然違うタイプのラッパーになっていたと思いますか?
Kダブシャイン「あの時点で枝分かれしていたら違ったかもしれないね。でも、ギドラをやる際に、WU-TANG CLAN(のソロ展開)も見てたし、それぞれ才能ある三人が集まってると思ってたから、『ソロでも出来るヤツが三人集まったから無敵』って思ってたんだ。だから、グループだけじゃなくてそれぞれのソロ・キャリアについても考えよう、って話した上でギドラの話を進めていた。『空からの力』にふたりのソロ曲が入ってるのはそういうことで。俺たちが、他のグループと比べて“解散”とか“活動休止”がユルい感じなのは、それが影響しているんだと思うな」
DJ OASIS「『空からの力』が出来る前 --オークランドで合宿していたときに、コッタ君は既に『ギドラでアルバム出して、ソロ・アルバムも出して……』って話をしていたからね」
 
■まだ「日本語ラップ冬の時代」と呼ばれていて、ラッパーがアルバムを出すこと自体が敷居の高かった時期に、そこまでのヴィジョンがあったというのは驚きです。その時点で、自分たちのヴィジョンはリアリスティックなモノとして捉えていたんでしょうか?それとも、もっと“夢”的な話だった?
Kダブシャイン「アメリカに住んでいたから、すごくリアリスティックに感じてたし、日本に帰ったらすぐBEASTIE BOYSみたいになると思ってた、っていうのが正直な話(笑)。何百万枚も売れて、コレで一気に変わっちゃうんだろうなー、ぐらいな」
 
■それは、コッタさんはその時点で日本のシーンの状況について詳しくなかったから?
Kダブシャイン「知っていたけど、良い部分しか見ていなかった。逆に、俺たちみたいのが出て来たら、みんな一気にコッチを向くだろうな、って淡い期待をしてたね」
 
■ギドラとしての日本語ラップを確立していく上で、乗り越えないといけなかった壁/ハードルはありましたか?
Zeebra「まずは、当時存在していた日本のシーンじゃない?日本語のラップでやるんだから、既に日本語ラップでやってた主流/トップを獲らないといけない、っていうのは普通に思ってた」
Kダブシャイン「スチャダラパーやEAST END辺りがターゲットだったのかもね」
Zeebra「でも、まだ“今夜はブギーバック”も“DA・YO・NE”もヒットしてなかった時期だったと思う。当時、『SLAM DUNK DISCO』(下北沢で開催されていたECD/YOU THE ROCK主催イヴェント)に“偵察”に行ったんだよな。当時『Fine』誌に出ていたラッパーたちはどんなモンだ、ってことで観に行ったんだ。そういうとこに敵情視察しに行って、看板頂いて全てぶっ潰すみたいな、ギャング的な感覚だった(笑)」
DJ OASIS「他の日本人ラッパーが出て来たら、コッチは首振らねぇ、ぐらいの感じじゃなかった?」
Kダブシャイン「斜に構えてた感じはあったね」
 
■そういう態度だったぐらい、94年頃のギドラはシーンの主流から外れていたし、だからこそ『YO! MTV RAPS』で“日本代表”としてレップしたことが、当時のシーンで波紋を呼んだんですよね。完全に“ヨソ者”だった。
Kダブシャイン「それまでの“HIP HOP村”においてはね。でも、俺は当時、まだそんなにみんな繋がっていない感じがしたんだよね。“シーン”は存在してたけど、“HIP HOPコミュニティ”みたいなモノにはなっていないと感じていた」
 
■そんな感じで殴り込みをかけて、煙たがられたりとかはしなかったんですか?
Zeebra「もちろん、そう思ってたヤツもいただろうね。でも、デモ・テープを配った段階で、それなりのモノは証明できてた。当時の『Fine』で、(高木)完ちゃんと宇多丸がそれぞれ同じ号のコラムでギドラについて書いてて、『おー、やっぱ俺ら認めさせちゃった?』みたいに思ったから、誰が何を言ってようとまったく気にならなかった……んだけど、『ペイジャー・ディス事件』ってのがあったじゃん(笑)?」
Kダブシャイン「……あー!」
Zeebra「UZIとHILL THE IQが大学の同級生で、ある日HILL THE IQがUZIに『MUROさんにデモ聴いてもらえることになったんだ』って話したワケ。そうしたらUZIが『何言ってるんだよ、ペイジャーなんかよりキング・ギドラの方がカッケェよ!』みたいなことを言ったんだよね(笑)。UZIは当時、ギドラのセキュリティとして一緒にステージに立ってたから、UZIもギドラの一員だと思われちゃって、『ギドラがペイジャーをディスってる』って噂がペイジャー側に伝わっちゃったんだ。そんな話が広まってるとは俺たちも知らない中、たまたま六本木R?HALLに行ったらMASAO(MICROPHONE PAGER)が来て、その場にいたKEN-BOに紹介されたんだけど」
DJ OASIS「スゲェ感じ悪くて(笑)」
Zeebra「愛想悪かったから『何なんだろう?』ってなったんだけど、KEN-BOが『取り敢えずラッパー同士だし、クルマの中でフリースタイルとかしちゃう?』って言い出して(笑)。そうしたら、MASAOが挑発的なラップをしてきたんだ。ちなみに、そのとき二日連続でMASAOにR?HALLで会ってたから、俺はそれを連チャンでやったんだよね(笑)。結局、そこで話をして誤解は解けたんだけど」
 

「アルバムに入っているヴァージョンとの違いに気づいたりもしたし、デモの段階でしっかり作り込んでたなー、って。当時の年齢(25歳頃)を考えると、すごい本気だったな、っていうのが感じられるね(笑)。キャリアを進めるという意味ではスゲェ真剣だったんだろうし、その当時の真剣さがあったからこそ、今も続けられてるのかな、って」-- Kダブシャイン

『YO! MTV RAPS』出演時のキング・ギドラ(94年)

 
CHAPTER 2:DUNGEONS OF RAP

■面白すぎます(笑)。それぐらい、“黒船”状態だったギドラが一気にシーン内で認められるようになったきっかけが、今回のデラックス盤に収録されるデモ・テープ音源なワケですよね。そのクオリティの高さに、当時聴いた人たちが衝撃を受けたという。
Kダブシャイン「黒船というよりは咸臨丸だね。福沢諭吉みたいにアメリカ行って戻ってきたワケだから」
 
■そうだけど、いいじゃん別に……(笑)。
Zeebra「今のはマジでこっちゃんテイスト炸裂だわ(笑)」
Kダブシャイン「ふたりをレップしたんだよ、慶応(出身)だからね。」
 
■……そのデモ・テープは、今で言うと“ミックステープ”ですよね。アルバム前にデモでバズらせて、っていう。
Kダブシャイン「オークランドで仲良かったラッパーやバンドが、本気でミュージック・ビジネスをやろうとしてたから、デモを作ってからディールを掴むまでの様子を見てた。それを見てたからこそ『デモがないとプロにはなれないんだな』って思ってた」
Zeebra「A TRIBE CALLED QUESTが『LOW END THEORY』(91年)で“SHOW BUSINESS”っていう音楽業界の裏側を突くような曲をやってたから、俺は慎重だったし、ヘンなとことも仮契約しかしてなかったワケ」
 
■なるほど!変なディールを掴まされたりする前の段階で、防御策として自分たちの音楽性/クオリティを確立しておく必要があったということですね。そうしないと、自分たちにとって不本意な音楽性でやらされる可能性があった。
Kダブシャイン「そうそう。あと、やっぱり同業者に聴かせたいって思いもあったし。まあ、とにかくハングリーだったんだよ」
 
■デモ・テープはいつぐらいに作ったんですか?
Zeebra「俺が覚えてるのは、『YO! MTV RAPS』の撮影があった前の晩。朝まで録ってて、昼頃に寝て夜になってみんな結構眠い中集合したんだよ。だから、あの撮影のときにデモを配るつもりもあったんじゃない?FAB 5 FREDDY(『YO! MTV RAPS』MC)にも渡したと思うよ。当時、方南町にUZIの兄ちゃんがやってた、レコーディングも出来るリハスタがあって、そこで録ったんだよね」
Kダブシャイン「二日ぐらいかけて6曲録ったんだと思う」
DJ OASIS「その前から作り溜めてた曲だね」
Zeebra「INOVADERの家とか俺の家とかでプリプロして」
 
■有りモノのインストは使わず、全部オリジナル・トラックだったんですよね?
Kダブシャイン「当時のグループって、みんなグループ独自のサウンドがあったじゃん?MAIN SOURCEもDE LA SOULもATCQも。だから、有りモノのトラックを使うより、サウンド面でも自分たちの名刺代わりとなるモノを作りたかった」
DJ OASIS「トラックは、デモを録るだいぶ前から作っていたからね。先にトラック作り始めたのはヒデからじゃない?」
Zeebra「同じぐらいじゃない?オアがCASIO FZ-1っていう、当時一番長い秒数サンプリングできたサンプラー/シンセを買ったんだよね。で、俺はMTRとROLAND R-8ってリズム・マシンを持ってて、FZ-1を動かすにはどうやらシーケンサーって機材が必要らしい、って話になってYAMAHAのQXをゲトって、俺の家でオケを作り始めたんだよ」
 
■それぞれの機材をシェアしてたんですね。当時、まだ情報も少なかった時代だったと思いますけど、機材の選び方やトラックの作り方はどうやって覚えていったんですか?トラックを作ってた人なんて、まだそんなにいなかった時代ですよね?
Zeebra「俺らの周りにはいなかったね。俺は、普通に説明書読みながら作ったよ。R-8しか持ってなかった段階で、俺は相当トラックを作り込んでたね」
 
■ジブさんの、今に通じる機械/テクノロジー・オタク振りが窺えますね。
Zeebra「それは超デカかったと思う」
DJ OASIS「俺もヒデも“マイコン”とかいじってたからね(笑)」
Zeebra「あと、俺とオアはDJだったしね。俺の家にはタンテが3台あったから、レコード3枚の音を重ねるとかは(トラックを作る前に)やってたし。MTRはミックステープを作るためにいじってた」
 
■“未確認飛行物体接近中”でジブさんは「変幻自在 俺の機材はAKAI」とラップしてますが。
Zeebra「あの曲を作ったときにはAKAI S-1100(サンプラー)を持ってて」
DJ OASIS「俺はS-950を持ってた」
Zeebra「まだ持ってるよ。データも残ってるから全部音鳴らせる」
 
■今回のリリースのタイミングで久し振りにデモを聴いたと思うのですが、どんな感想を持ちましたか?
Kダブシャイン「もちろん、アルバムに入っているヴァージョンとの違いに気づいたりもしたし、デモの段階でしっかり作り込んでたなー、って。当時の年齢(25歳頃)を考えると、すごい本気だったな、っていうのが感じられるね(笑)。キャリアを進めるという意味ではスゲェ真剣だったんだろうし、その当時の真剣さがあったからこそ、今も続けられてるのかな、って」
 
■今回、僕も初めて聴かせてもらって悶絶しました。特にジブさんのフロウが時代を感じさせる(笑)。
Zeebra「もちろん、当時どういう感じだったかはなんとなく覚えていたけど、俺も実際聴き返したら今との違いがかなり想像の斜め上行ってて驚愕した(笑)」
 
■当時、参照していたアーティスト/作品はありましたか?
Zeebra「いくら日本で悪ぶってもたかが知れてるな、って思ってたから、ギャングスタ・ラップ的なスタイルというよりはもうちょっと柔らかい --NATIVE TONGUEほど柔らかくはないけどもうちょっとストリート寄りぐらいがいいな、って思ってやってたのがPOSITIVE VIBE(キング・ギドラ前にZeebraとDJ OASISが組んでいたユニット)だったりした。THE PHARCYDEとかは、そういう意味では92〜93年頃に『ちょうどいいな』って思ったし、その延長線上で出来たのがこのデモだったりする。でも、『悪ぶってもたかが知れてる』と思っていたとは言え、いざ日本のシーンに入ってきてみたら、俺らは自分たちが思っていたより“悪い子ちゃん”な立ち位置だったから、デモのラップの感じだとちょっと明るすぎると思ったんだよね。『日本のシーンを意識するならもう少しハードでいい』って」
Kダブシャイン「歌詞も、だんだん地に足着いた感じになっていくんだよね」
Zeebra「デモの頃に作った曲は、『殴り込み』な感じのリリックばっかだけど、“行方不明”を作ったときはある程度上手くいき始めてた時期だったから、『シーン(内)の人』の視点で書いてる」
Kダブシャイン「俺の場合は、93〜95年って時期を考えると、一番シンボリックだったのはNAS『ILLMATIC』(94年)だよね。その前まではTREACH(NAUGHTY BY NATURE)とかULTRAMAGNETIC MC'Sが好きだったと思うんだけど、NASやビギーが出て来て『よりリアリティに近づいていかなきゃいけないな』って思った。だから、デモの頃は抑揚の付いたフロウだけど、アルバムではもっとモノトーンなスタイルになっていく」
Zeebra「あと、グループ内でのキャラ分けとして、RUNとDMCとか、KOOL KEITHとCED GEEとか、CHUCK DとFLAVOR FLAVとか、SNOOPとDR. DREとか……」
Kダブシャイン「そういう、(ラップ・デュオが持つ)コントラストが大事だと思ってた」
Zeebra「だから、俺は最初『高い声』担当のイメージだったんだ。だけど、いざライヴでラップしてみたりすると、もうちょっとガナる感じになってきて、そっちの方がハマりが良かったんだよね」
 


 
 
INFO
「KGDR(ex.キングギドラ) スペシャル・トーク&サイン会: 名盤各務塾(特別編)」
日時:7月4日(土)15:30〜
場所:TOWER RECORDS渋谷店1Fイベントスペース
出演:KGDR(ex. キングギドラ)
司会進行:伊藤雄介(Amebreak)
http://tower.jp/store/event/2015/06/003019
 
 
『ワイルド・スタイル』『Nas/タイム・イズ・イルマティック」DVDリリース記念トーク・セッション
日時:7月5日(日)18:30開場/19:00開演
場所:HMV record shop 渋谷1Fイベントスペース
出演:KGDR(ex. キングギドラ)
http://www.hmv.co.jp/news/article/1506190003/
 
 
KGDR(ex.キングギドラ) 〜「空からの力」20th Anniversary〜 LIVE INFO
7月18日(土)『NAMIMONOGATARI 2015』 @ Zepp Nagoya
http://www.namimonogatari.com/
 
8月15日(土)『SUMMER BOMB produced by Zeebra』 @ Zepp DiverCity TOKYO
http://summer-bomb.com/
 
9月6日(日)『23rd Sunset Live 2015 -Love & Unity-』 @ 福岡県・芥屋海水浴場
http://www.sunsetlive-info.com
 
9月22日(日)『MUSIC TRIBE 2015』 @ 岡山県・岡山武道館
http://musictribe2015.info/

 
 

Pickup Disc

TITLE : 空からの力:20周年記念エディション
ARTIST : キング・ギドラ
LABEL : P-VINE
PRICE : 2,700円(通常盤)/3,240円(デラックス盤)
RELEASE DATE : 6月17日